「海の命」あらすじと人物相関図・伝えたいこと(ポイントまとめ)
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小学校6年生の国語で学習する「海の命」について、あらすじや内容のポイント、登場人物と性格、人物の行動から読み取れる心情、「海の命」とはなにか、筆者の伝えたいことをわかりやすく解説しているよ。
「海の命」テスト対策ポイントまとめ
太一がクエを殺さなかった理由
- 瀬の主であるクエのことを「海の命」だと思ったから
- 瀬の主であるクエに父親の姿を重ねたから
- 「海の命」だと思ったクエに、「殺されたがってるのでは」と思うほどおだやかな目で見られたから
「海の命」とは海に生きて、海で死んでいく「命のつながり」
筆者の伝えたいことは「人間は自然と他者のおかげで生かされていることを忘れてはならない。自分の都合で生きるのではなく、生きるために最低限の命だけをもらうべきである。」
目次目次
- あらすじ
- 内容とポイント
- 筆者の伝えたいこと
- 言葉の意味
- 新出漢字
- まとめ
「海の命」あらすじ
「海の命」は作家である立松和平さんの作品。立松和平さんのほかの作品には、「山のいのち」「街のいのち」などがあるよ。
「海の命」あらすじ
先祖代々漁師の家に生まれた太一は、村一番のもぐり漁師のおとうのようになることを目指していた。おとうは、大物をしとめても「海のめぐみだからなあ。」と言う。ところがある日、おとうは岩のようなクエに破れて命を落としてしまった。中学校を卒業する年の夏、太一はおとうが死んだ瀬に毎日一本づりに行っている漁師の与吉じいさの弟子になる。与吉じいさはいつも「千びきに一ぴきでいい」と独り言のように語る。「海で生きるとはどういうことか」を太一に教えてくれたのだ。何年もたったころ、「おまえは村一番の漁師だ」と与吉じいさは太一の成長をみとめる。やがて船に乗らなくなった与吉じいさも、おとうのように海に帰っていった。心配する母の悲しみも背負いながら、太一はついに父の死んだ瀬にもぐる。瀬にもぐり続けて一年が過ぎ、太一はついに父を破ったであろう巨大な瀬の主(クエ)に出会った。太一がもりをつき出しても、全く動こうとしないクエの目はおだやかだった。「この大魚は自分に殺されたがっているのだ」と思った太一は、その初めての感情と、「クエをとらなければ本当の一人前の漁師になれない」という思いに、泣きそうになる。しかしふっとほほえみ、えがおを作った。「おとう、ここにおられたのですか。」太一は、クエをおとうと思うことで、クエを殺さずにすんだ。クエはこの海の命だと思えたのだ。
それから、太一は村一番の漁師であり続けた。おとうと与吉じいさの教えを胸に「海で生きた」。クエにもりを打たなかったことを生涯だれにも話すことなく。
登場人物(人物相関図)登場人物人物像太一(主人公)勇気がある真面目おとう(太一の父)真面目控えめおだやか我慢強い与吉じいさ面倒見が良い海に感謝している母太一を見守り心配する巨大なクエ太一の父を破るおだやかな目それぞれの登場人物の「海」に対する考え方と生き方「海の命」の中で書かれている、それぞれの登場人物の言動から、その人物が「海」に対してどう考えているのかを読み取ろう。
おとう「2メートルもある大物をしとめても、父はじまんすることもなく言う」「海のめぐみだからなあ。」「不漁の日が十日間続いても、父は少しも変わらなかった」
おとうは、海に対して「すべてのめぐみをくれるところ」だと考えているね。だから大物がとれたとしても、それは自分の力ではなく、海が与えてくれたもの、だからじまんすることはなかったんだね。不漁の日が続いても、少しも変わらなかったのも、海が与えてくれるものなのだから、じっと自分は待つべきだと考えていたのかもしれないね。
与吉じいさ「もう海に自然に遊ばせてやりたくなっとる」「千匹に一匹でいいんだ」「ずっとこの海で生きていけるよ」
与吉じいさは、海に感謝していて、「自分たちは海とともに生きている」と考えているね。だから、漁は最低限で良いと考えているね。それは魚をたくさんとってきたものの、年を取っていくうちに、「自分たちは海とともに生きている」という考えかたにたどりついたんだね。人間の都合や勝手で、むやみにたくさんの魚をとってしまえば、それは海をこわしてしまうことにつながり、いずれ自分たちも生きていけなくなってしまうと考えているんだね。
母「おまえが、おとうの死んだ瀬にもぐると、いつ言いだすかと思うと、私はおそろしくて夜もねむれない」「おまえの心の中が見えるよう」
母は、おとうの命をうばった海に対して、悲しい気持ちを持っているね。そして、大切な息子の太一までもが海で命を落としてしまうのではないかと、不安な気持ちを持っているね。
太一「二十キロぐらいのクエも見かけた。だが、太一は興味をもてなかった。」「この大魚は自分に殺されたがっているのだと、太一は思った」「この魚をとらなければ、本当の一人前の漁師にはなれないのだと、太一は泣きそうになりながら思う」「ふっとほほえみ」「えがおを作った」「おとう、ここにおられたのですか。また会いに来ますから」「生涯だれにも話さなかった」
大きなクエを見かけても、興味をもてなかったのは、与吉じいさの「自分たちは海とともに生きている」「必要以上に命をうばうべきではない」という教えがあったからだね。けれども、とうとう、おとうの命をうばったクエに出会ってしまった。クエはとてもおだやかな目をしていて、まるで「自分が君のお父さんの命をうばったんだ。だから、自分を殺してくれてかまわないよ」と言っているように感じたのかもしれないね。そんなクエの姿に、太一は心を動かされているね。「このクエをとって、おとうの仇をうたなければ本当の一人前の漁師にはなれない」という考えと、「おとうの仇をうつために、自分の勝手な都合で命をうばうことは、与吉じいさの教えに反してしまう」という考えの間でゆれて、太一は泣きそうになったのかもしれないね。そんな太一は、ふっとほほえんで、クエにえがおを向けたね。「おとう、ここにおられたのですか。」太一は、クエを「おとう」だと思うことにしたんだね。与吉じいさは海に帰っていった。おとうもまた、海に帰っていったのだ。クエは海の命であり、与吉じいさも、おとうも海の命として帰っていった。与吉じいさも、おとうも、クエもみな海の命だと考えることで、海やクエに対する悲しみ・憎しみ(父の仇)から、すべてを受け入れて、「クエを許す」ことで、これからも海で生きること、海に対して感謝することを守りつづけたんだね。そんな太一だから、「村一番の漁師であり続けた」し、クエとのことを生涯だれにも話さなかったのかもしれないね。
「海の命」内容とポイント
場面分け「海の命」の場面分けは、先生や学校によって変わることがあるよ。大体、5~8場面に分けられることが多いんだ。
場面分けは、「時間」「場所」「登場人物」「できごと」などに変化があるところで分けるのがポイントだよ。
場面内容一「父もその父も、」~【父の死】漁師をめざす太一瀬の主に破られた父二「中学校を卒業する年の夏、」~【与吉じいさへ弟子入りする】与吉じいさの海に対する思いを教わる太一三「弟子になって何年もたったある朝、」~【与吉じいさの死・太一の成長】村一番の漁師へ成長した太一海に帰った与吉じいさ四「ある日、母はこんなふうに言うのだった。」~【母と太一の関係】父が死んだ瀬にやってきた太一五「追い求めているうちに、」~【瀬の主と太一の出会い】父を破った瀬の主を殺さなかった太一六「やがて、太一は村のむすめとけっこんし、」~【太一と家族のその後】村一番の漁師であり続けた太一クエとのことを一生涯話さなかった太一おだやかな母それでは、それぞれの場面ごとの内容とポイントをくわしく確認していこう。
第一の場面 父の死【時間】子どものころ【場所】父もその父も、その先ずっと顔も知らない父親たちが住んでいた海【登場人物】太一・おとう【内容】太一は おとうのような漁師になることを目指していたよ。おとうはクエに破れて亡くなったよ。
父のような漁師をめざす太一海の命のお話の舞たいは海だね。どんな海かというと、「父もその父も、その先ずっと顔も知らない父親たちが住んでいた海」だよ。つまり、太一の家は先祖代々海のすぐそばで暮らし、漁師をやってきたんだね。
太一は、海のどんな表情も好きだったよ。つまり、おだやかな海も、あれている海も好きで、それだけ海に親しみ、海が生活とは切りはなせないものだったんだね。太一は「ぼくは漁師になる。おとうといっしょに海に出るんだ。」と言っていたよ。太一は、おとうのすがたを見て「おとうはかっこいいな」「おとうと一緒に漁をしたいな」と あこがれていたんだね。
「だれにももぐれない瀬に、たった一人でもぐっては」というおとうの行動から、おとうが だれよりもうでのいい漁師だということがわかるね。それでもおとうは「海のめぐみだからなあ。」と言ったよ。
「海のめぐみ」という言葉は、おとうの生き方、考え方そのものだね。
くまごろう海から命をいただいている「海のめぐみ」というおとうの生き方、考え方は、その後の太一にもえいきょうをあたえているよ。瀬の主に破られた父ある日、おとうは夕方になっても帰らず、ロープを体に巻いたまま、水中でこときれていたよ。つまり、父は海の中で死んでしまったんだね。
ロープの先には、クエがいたよ。どんなクエだったかというと、・光る緑色の目・仲間の漁師が何人がかりで引こうとしても全く動かない・岩のような魚 だね。おとうがなぜ死んでしまったのか、くわしいいきさつは書かれていないけれど、・クエの体にもりがつきさされていた→父がクエをとろうとしたのではないか・仲間の漁師が何人がかりで引こうとしても全く動かない→おとうはロープをひくことができず、海面にもどれないまま息ができなくなってしまったのではないかということが考えられるよ。
第二の場面 太一は与吉じいさへ弟子入りする【時間】中学校を卒業する年の夏【場所】太一の父が死んだ瀬【登場人物】太一・与吉じいさ【内容】太一は与吉じいさの弟子になったよ。与吉じいさは、「千びきに一ぴきでいい」と語ったよ。
くまごろう第二の場面からは、おとうや与吉じいさのえいきょうを受けながら、おとうを亡くした太一がどのように成長していくかが えがかれているよ。太一は与吉じいさに弟子入りをたのんだよ。中学校を卒業する年の夏とあるから、15さいくらいの時だね。
なぜ与吉じいさに弟子入りをたのんだかというと、「太一の父が死んだ瀬に毎日一本釣りに行っている漁師」ということがポイントだね。「太一の父が死んだ瀬」は太一がひかれている場所、行きたい場所のはずだよね。なぜかというと、父のような漁師になるためには、父の海にひかれていたはずだし、「父の海に行けばいつか父を破ったクエに会えるのではないか」という思いがあったはずだよね。
与吉じいさは「もう魚を海に自然に遊ばせてやりたくなっとる」とことわったよ。つまり、与吉じいさは、そろそろ漁師をやめようと思っていたんだね。けれど、太一は「つえの代わりに使ってくれ。」と 無理やり弟子になったよ。つえの代わりとは、与吉じいさが年を取ってできなくなったことを、何でもやって、助けるよということだね。「無理やり」という言葉から、「どうしても父のように、海で生きていく漁師になりたい」という太一の強い気持が感じられるね。
太一は、なかなかつり糸をにぎらせてもらえなかったよ。与吉じいさは、「千びきに一ぴきでいいんだ。千びきいるうち一ぴきをつれば、ずっとこの海で生きていけるよ。」と独り言のように言ったよ。この言葉こそ、与吉じいさの生き方、考え方そのものだね。だから、与吉じいさは、毎日タイを二十ぴきとると、もう道具を片づけたよ。なぜかというと、一日二十ぴきが、与吉じいさが生きていくために必要最低限の海からいただく命だったからだね。どうして与吉じいさは、太一につり糸をにぎらせなかったのかな?それはきっと、太一につりの技術を教えるのではなく、「千びきに一ぴきの命をいただくような海との向きあい方、心のありかた」を何よりもまずわかってもらいたかったんじゃないかな。毎日二十ぴきで漁を終えるという自分の姿勢を見せ続けることや、「千びきに一ぴきでいいんだ」と独り言のように語ることで、太一に海と共にこれからも生きていくことの大切さを伝えていたんだね。
くまごろう「千びきに一ぴきでいい」という与吉じいさの生き方、考え方も、その後の太一に大きなえいきょうをあたえていくよ。与吉じいさの「千びきに一ぴきでいい」と、おとうの「海のめぐみ」は似ているね。おとうと与吉じいさは、漁の方法はちがうけれど、太一は、与吉じいさの生き方に、おとうと似たところを感じていたのかもしれないね。
第三の場面 与吉じいさの死と太一の成長【時間】弟子になって何年もたったある朝【場所】同じ瀬(太一の父が死んだ瀬)・与吉じいさの家【登場人物】太一・与吉じいさ【内容】与吉じいさは「村一番の漁師」と太一の成長をみとめたよ。与吉じいさも、海へ帰っていったよ。
村一番の漁師へ成長した太一弟子になって何年もたつと、与吉じいさは船には乗ったけれど、作業はほとんど太一がやるようになっていたよ。与吉じいさが年を老ってきた反面、太一が成長し、できること、まかされることが増えていたんだね。
与吉じいさは、「おまえは村一番の漁師だよ。太一、ここはおまえの海だ。」とふっと声をもらしたよ。つまり、太一の成長をみとめたんだね。「ふっと声をもらした」という様子から、与吉じいさが太一の成長をしみじみと感じていることが想像できるね。「おまえの海だ」という言葉には、「太一が千びきに一ぴきでいいという海との向き合い方をわかってくれた」「私が伝えたいことは全て伝えられた」「私が亡くなっても、太一は海でやっていける」という思いもあったんじゃないかな。
海に帰った与吉じいさそれから、与吉じいさは船に乗らなくなったよ。なぜかというと、与吉じいさは、さらに年老いて、漁に出ることもできなくなったんだね。そして、真夏のある日、与吉じいさは毛布をのどまでかけてねむっていたよ。つまり、与吉じいさも死んでしまったんだね。
太一は「海に帰りましたか。与吉じいさ、心から感謝しております。おかげさまでぼくも海で生きられます。」と言ったよ。
「海で生きる」とは、おとうや与吉じいさのように、海と共に生きていくことだね。
太一は自然な気持ちで、顔の前に両手を合わせたよ。「自然な気持ち」とは、海に感謝し、海と共に生きてきた与吉じいさをずっと見てきたから、生きる、死ぬという命のめぐりあわせを素直に受け入れられたということじゃないかな。きっと太一は「海を大切に生きてきた与吉じいさは、海とつながっていて、海に帰っていったんだな」と納得したんだね。
第四の場面 母と太一の関係【時間】ある日【場所】父の海【登場人物】母・太一【内容】母は、太一が父が死んだ瀬にもぐることを心配していたよ。太一は、母の悲しみを背負いながらも、おとうの海にもぐったよ。
太一が父の死んだ瀬にもぐることを心配する母太一の母は、「おまえが、おとうの死んだ瀬にもぐると、いつ言い出すかと思うと、私はおそろしくて夜もねむれないよ。おまえの心の中が見えるようで。」と言ったよ。
「心の中」とは、「おとうのように、おとうの死んだ瀬にもぐって、おとうを破ったクエと会いたい」ということだね。
第一の場面で「おとうと一緒に海に出るんだ」とあこがれていたこと、第二の場面で与吉じいさの弟子に無理やりなったことなどからも、太一の心の中には常に「おとう」があることが読み取れるよね。
母はそんな太一の気持ちを感じ取っていて、「太一もおとうのように海で死んでしまうのではないか」「太一まで失いたくない」と心配していたんだね。
このように母にとって、海は「おそろしく、悲しい場所」だったけれど、反対に太一にとっては「自由な世界」だったよ。「自由」とは、自分が自分らしく生きられる大切な場所であり、海で生きていく自信やよろこびにあふれているということじゃないかな。
太一は、母の悲しみさえも背負おうとしていたよ。「悲しみさえも背負う」とは、母の悲しみをよく理解し、その気持ちをまるごと受け止めていたということじゃないかな。そして、母の思いをまっすぐ受け止めながらも、「いつかおとうを破ったクエに会いたい」という、自分の心にある長年の思いに対する強いかくごや あきらめない気持ちも持っていたんだね。
父が死んだ瀬にやってきて太一ある日、太一は父が死んだ海に飛びこんだよ。「水の感触がここちよい」「光が、波の動きにつれ、かがやきながら交差する」といった美しい海の様子から、「ついに父の海に来たぞ!」「あのクエに会えるかもしれない!」という太一のよろこびや感動、興奮が伝わってくるね。「壮大な音楽を聞いているような気分」という表現からも、ずっと心に思ってきた父の海に気もちが高まり、特別な気持ちを感じていることがわかるね。
そんな海の中で、二十キロぐらいのクエを見かけたけれど、太一は興味を持てなかったよ。なぜかというと、父を破った「何人がかりで引こうと全く動かない、岩のような魚」を探していたからじゃないかな。与吉じいさの教えを守っていた太一は、探してもいない小さなクエの命をうばうことは決してしなかったんだね。
「瀬にもぐり続けて、ほぼ一年が過ぎた」という様子から、「父と同じクエと会いたい」とずっと探し求めている太一の強い思いを感じるね。
第五の場面 瀬の主と太一の出会い【時間】追い求めているうちに【場所】父の海(海藻のゆれる穴のおく)【登場人物】太一【内容】太一は、父を破ったかもしれない瀬の主(クエ)にもりをつき出したけれど、殺さなかったよ。
第五の場面は「追い求めるうちに、不意に夢は実現するものだ」という一文で始まっているね。夢とは、「父を破ったクエに会うこと」だね。
太一が出会ったクエは・青い目・ひとみは黒いしんじゅのよう・刃物のような歯がならんだ灰色のくちびるは、膨らんでいて大きい・岩その物が魚のよう・百五十キロはゆうにこえている という特ちょうがあるね。
くまごろう父を破ったクエ(第一の場面)ととても似ているから、その可能性が高いね。青と緑という色のちがいはあるけれど、海の色や光の関係で青にも緑にも見えることはあるんじゃないかな。
太一は、これが自分の追い求めていたまぼろしの魚、村一番のもぐり漁師だった父を破った瀬の主なのかもしれないと思ったよ。「まぼろし」という表現から、「簡単には会うことができなかった相手」であり、「父を破ったすごい相手」ということが強調されているね。
太一は、クエにもりをつき出したけれど、クエは動こうとはしなかったよ。「永遠にここにいられるような気さえした」とあるから、動こうとはしないクエのみ力や不思議さ、堂々たる様子に太一がひきつけられていることが想像できるね。
太一がもう一度もどったときも、クエは全く動こうとはせずに太一を見ていたよ。「おだやかな目」「自分に殺されたがっていると思ったほど」とあるから、太一をこうげきしたり、にげようとしたりはしていないね。堂々としていて、太一の行動を落ち着いて受け止め、ありのままを自然と受け入れようとしているような感じがするね。
太一は、この魚をとらなければ、本当の一人前の漁師になれないのだと、泣きそうになりながら思ったよ。「本当の一人前の漁師」とは、村一番の漁師だった父を破ったクエをたおしてこそ、あこがれの父をこえる立派な漁師になれるということじゃないかな。
それではどうして太一は泣きそうになったのかな?それは、クエをしとめることは、「父を破ったクエをたおして、父をこえる立派な漁師になりたい」という自分の都合だけで、命をうばうことになるからだね。それは「海のめぐみ」というおとうの生き方や「千びきに一ひきでいい」という与吉じいさの教えとは正反対のものだよね。それに、クエと戦って万が一おとうのように死んでしまったら、母が悲しむこともよくわかっていたよね。
太一の心の中では「父を破ったクエを殺さなければ、父をこえる漁師になれない」という思いと「おとうや与吉じいさの生き方にそむいてまで、このクエの命をうばっていいのだろうか」という感情がせめぎあっていたから、泣きそうだったんだ。
ところが、泣きそうになっていた太一はほほえみ、えがおを作ったよ。なぜかというと、「おとう、ここにおられたのですか。また会いに来ますから。」と思うことにしたからだね。
つまり、太一は、クエを亡くなったおとうだと思うことで、クエの命をうばわないことをえらんだんだね。
くまごろう「泣きそう」な様子から、正反対の「ほほえみ、笑顔」という行動の変化で、太一の気持ちが大きく変わったことがわかるね。「口から銀のあぶくを出した」という表現も、太一の心の葛藤が外に出ていったことを表しているんじゃないかな。それまでクエのことを「瀬の主」「大魚」などと言っていたけれど、「海の命」と思っているね。堂々たるクエのすがたに、おとうのすがたを重ねることで、おとうも与吉じいさもクエも、みんな大切な命であり、海も人もつながっているとわかったんじゃないかな。
きっと太一はこの経験をとおして、おとうや与吉じいさの生き方を心の底から理解し、本当の意味で、おとうや与吉じいさのような「海と共に生きる」漁師になれたのかもしれないね。
第六の場面 太一と家族のその後【時間】やがて【登場人物】太一【内容】太一は、村一番の漁師であり続けたよ。クエを殺さなかったことは、だれにも話さなかったよ。
第六の場面は、お話の結末だね。太一は、けっこんし、元気でやさしい子どもを四人育てたよ。母は、おだやかで満ち足りた美しいおばあさんになったよ。
子どもたちの様子や、第四の場面では不安な気持ちだった母が、安心して幸せな気持ちで暮らしていることから、太一は、海だけでなく、家族のことも大切にしたことがわかるね。
太一は村一番の漁師であり続けたよ。「村一番の漁師」とは、どんな漁師だろう?
「千びきに一ひきしかとらないのだから、海の命は全く変わらない」とあるから、父の生き方や与吉じいさの教えが 太一にも引きつがれていることがわかるね。
ということは、村一番の漁師とは、父や与吉じいさのように、「海に感謝し、海と共に生きる」漁師ということじゃないかな。「あり続けた」とあるから、生涯太一はどんな時でも、海と共に生きることを常に忘れず守りぬいたんだね。
クエを殺さなかった理由第五の場面で、なぜ太一はクエを殺さなかったのかな?これは、次のように考えることができるよ。
- 瀬の主であるクエのことを「海の命」だと思ったから
- 瀬の主であるクエに父親の姿を重ねたから
- 「海の命」だと思ったクエに、「殺されたがってるのでは」と思うほどおだやかな目で見られたから
クエに出会った太一は、そのクエのおだやかな目を見て、おとうのことを謝られている気がしたんだね。「自分のせいでお父さんを死なせてしまってすまない」「お父さんの仇をとるために、自分のことを殺してほしい」とまで感じたのかもしれないね。「泣きそうになっている」と書かれていることからも、太一は本当はクエを殺したくないことが伝わるね。なぜなら、瀬の主であるクエに、おだやかな目で見られて、「クエは海の命なのだ」とあらためて感じたからではないかな。その時の太一には、「千びきに一ぴきでいいんだ」というじいさの教えが浮かんだのかもしれないね。いま、クエを殺すことは必要なことではないよね。それなのに殺してしまうということは、じいさの教えに反することになってしまうよね。だから太一はクエにおとうの姿を重ねたんだ。「おとうを殺されてしまった」という憎しみをこらえて、海の命のクエを許して、おとうとじいさの教えを守ろうとしたんだね。
「海の命」とは何か作品の題名にもなっている「海の命」とはいったいなんだろう。おとうとじいさは、海とともに生きていたよね。「自分たちが生きていくために必要な分だけを、海から恵んでもらって、生かされている」と考えていたよね。そして、おとうもじいさも、海で死んでいったよね。太一はそれを、「海に帰った」と言っているね。人間も、海で生きている命のひとつであり、海に生かされて、いずれ海に帰っていく命であると考えているんだね。「海の命」とは、海に生きて、海で死んでいく「命のつながり」を表しているんだね。
なぜ生涯誰にも話さなかったのか太一は、クエと海で出会ったこと、けれどクエを殺さなかったことを生涯誰にも話さなかったとあるねなぜ、太一は生涯誰にもはなさなかったのだろう?たとえばもし、話したらどうなるだろう?「どうしておとうの仇のクエを殺さなかったんだ」と責められるかもしれないよね。だって、簡単に考えてしまうと、「クエのせいでお父が死んでしまった」のだから、「クエを殺すことで、おとうの仇をとるべきだ」となってしまうよね。
でも、太一はじいさやおとうと一緒に海で生きてきたことで、「人間も海で生かされている海の命である」こと、「クエも海の命である」こと。無駄に命を奪うべきではないことを学び、守ってきたんだ。だからクエを殺さなかったのだけれど、そのことを分かってもらうのはとても難しいかもしれない。太一もじいさやおとうから教えられ、長い時間をかけてわかったことだから。実際に海と生きてきて、クエに出会って、それでやっとわかったことだから。だから、太一はクエとのことを胸にしまって、生涯誰にも話さなかったのかもしれないね。
「海の命」筆者の伝えたいこと
「海の命」のお話で、筆者が伝えたかったことはなんだろう?「海の命」の中では、太一はおとうとじいさから「人間は海に生かされているにすぎない」ということを教えられて生きてきたよね。人間は、すぐに「自分たちは特別な存在だから、他の生き物や自然を利用してもよい」と考えてしまっているよね。みなおなじ「命」なのに、遊び半分やファッションのために動物の命を奪ったり、自分たちの都合だけで自然を破壊したり。人間は決して自分たちの力だけで生きているわけではないんだ。自然の恵みがあってはじめて生きていけている。「誰かのお陰で生きられている」ということ。「自然を敬って、ともに生きている」ということを改めて考えて、心にとめてほしいと作者は思っているのではないかな。そして太一は、じいさやおとうの教えをずっと守り、おとうの死という悲しみや、おとうの仇という怒りや憎しみも乗りこえて、「生きるということはどういうことか」「海の命とは何か」を受け入れて生きていっているね。作者は、「ものごとをありのまま受け入れること」「人の教えを受け入れて守っていくこと」を大切にしてほしいと伝えたいのではないかな。
「海の命」で筆者が伝えたいこと
- 人の教えを受け入れ、守り続けていくことの大切さ
- 悲しみや怒りを受け入れていく心の強さ
- 人間はみな誰かのおかげで生かされているということ
- 自然とともに生きること、自然を守ることの大切さ
人間は自然と他者のおかげで生かされていることを忘れてはならない。自分の都合で生きるのではなく、生きるために最低限の命だけをもらうべきである。
「海の命」言葉の意味調べ
「海の命」の中で使われている意味をまとめているので注意しよう。
言葉意味はばかる遠慮することもぐり漁師海などにもぐって、「もり」で魚をついて獲る漁師のこと潮の流れ海水の流れのこと瀬水が激しく流れる場所のことクエハタの仲間の魚。日本国内の大型(体長1mを超える)海水魚として知られている海のめぐみ魚介類など、海から与えられる人間が生きていくために必要なもののこと不漁魚が十分に獲れないこと引き潮月と太陽の引力によって、海水の高さが変わるが、そのうち海水面の高さが下がることこときれる息が絶えること。つまり、死ぬこともり魚を突いたり、刺したりして獲るための漁の道具のこと一本づり魚を一匹ずつ、釣竿を使って釣る漁の方法のこと糸をたぐる糸を両手でかわるがわる引いて、手元へ引きよせること甲板(かんばん)船の上の、板などが張られた平らな床の部分のことイサキスズキ目イサキ科に分類される海水魚ブリスズキ目アジ科に分類される海水魚息をもらす感心してため息をもらすことさとる感づくことふき上がる激しい感情がわきあがること屈強とても力が強いことはやばやと普通よりも早いこといかり船を決めた場所にとめておくために、くさりやロープをつけて海の底に沈める「おもり」のこと壮大大きくてりっぱなこと不意に思いがけないこと鼻づら鼻の先のこと「海の命」新出漢字
「海の命」で学習する漢字のなぞり書きプリントを用意したよ。テストに向けてたくさん練習しておこう。
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「海の命」テスト対策ポイントまとめ
太一がクエを殺さなかった理由
- 瀬の主であるクエのことを「海の命」だと思ったから
- 瀬の主であるクエに父親の姿を重ねたから
- 「海の命」だと思ったクエに、「殺されたがってるのでは」と思うほどおだやかな目で見られたから
「海の命」とは海に生きて、海で死んでいく「命のつながり」
筆者の伝えたいことは「人間は自然と他者のおかげで生かされていることを忘れてはならない。自分の都合で生きるのではなく、生きるために最低限の命だけをもらうべきである。」