20世紀初頭のロンドンを震撼させた「浴槽の花嫁」連続殺人事件の恐ろしい手口
この画像を大きなサイズで見る Advertisement今もなお犯罪史に刻まれている凶悪な連続殺人事件が、1912年7月にイギリス、ロンドンで幕を開けた。
犯人男性は身分を隠し名前を偽り、次々と女性たちと結婚しては(実は重婚である)、事故に見せかけ浴槽で溺死させていったのだ。
この事件は後に「浴槽の花嫁」連続殺人事件と呼ばれることとなる。それでは事件の真相に迫っていこう。
記事をシェア みんなのポスト コメント コメントを書く ナビ 上に戻る偽名を使って結婚し、妻を自宅浴槽で溺死させる
その男の名は、ジョージ・ジョセフ・スミスという。だが、ヘンリー・ウィリアムズという偽名を使い、1910年にベアトリス・マンディという女性と結婚した。
その2年後となる1912年7月、ベアトリス・マンディは自宅の浴槽で溺死した。その死に事件性はないと判断され、事故死として処理された。
彼女には2500ポンド(当時では大金)の預金があり、本人の遺言によってスミスはその金をそっくり手に入れた。
この画像を大きなサイズで見るスミスの最初の被害者となったベアトリス・マンディ次々と結婚しては妻を浴槽で溺死させ保険金を受け取っていた
1913年11月、スミスが本名のまま結婚したアリス・バーナムが、500ポンドの保険金をかけられた後、海辺のリゾートホテルの浴槽で溺死した。だがこれもまた事故死と認定された。
1914年12月、今度はジョン・ロイドという偽名を使ったスミスと結婚したマーガレット・ロフティが最後の犠牲者となった。マーガレットもやはり700ポンドの保険に加入し、結婚直後に浴槽で溺死した。
ジョージ・ジョセフ・スミスの過去
ジョージ・ジョセフ・スミスは1872年1月11日、ロンドン、ベスナルグリーン地区で生まれた。
少年の頃から札付きのワルで、少年院や刑務所を出たり入ったりしていた。容姿はとくに目立つということもなく、無愛想で扱いにくい人物だったという。
ところが、どういうわけか女性にはもてた。
1898年、26歳の時に18歳のキャロライン・ソーンヒルと結婚したが、この頃からすでに、名前や職業を偽り、ソーンヒルにメイドの仕事をやらせて雇い主の家で盗みをさせていた。
結果的にソーンヒルだけが逮捕されて、スミスはさっさと姿を消してしまった。
ふたりは離婚していなかったため、その後の結婚はすべて不法な重婚となる。
1908年にスミスはエディス・ペグラーと結婚しているが、彼女は殺されることはなかった。
この画像を大きなサイズで見るジョージ・ジョセフ・スミス public domain/wikimediaシャーロック・ホームズの作家も感づいた。事件発覚の経緯
スミスの犯行が明るみに出たのは、2番目の犠牲者アリス・バーナムの父親チャールズが、新聞に載った3番目のマーガレット・ロフティの事件を知ったからだ。
「あまりにも娘の死に方と似ている。名前は違うが3人の夫は同一人物なのではないか?」と訴え出て警察組織、スコットランドヤードが動き出した。
シャーロック・ホームズの生みの親、アーサー・コナン・ドイルも、夫が怪しいと感づいたうちの1人で、捜査を急ぐようスコットランドヤードに手紙を書いている。
1915年2月、ヤードのアーサー・ニール刑事は、スミスがロフティの保険金を受け取りに現れた現場で彼を確保した。
残された写真や目撃者の証言から、スミスが亡くなった女性たちの夫だったことは明らかだった。
だが、スミスは3人の死はまったくの偶然で、自分は不運だっただけだと主張し、偽名を使っていたことだけは認めた。
結婚許可証に偽名を記載した罪でスミスを起訴することはできたが、彼が凶悪な連続殺人犯であることを証明するには、殺しの手口を証明しなくてはならなかった。
この画像を大きなサイズで見るシャーロック・ホームズシリーズの著者、アーサー・コナン・ドイルも夫が怪しいと勘づいた public domain/wikimediaどうやって自然な溺死に見せかけたのか?
ニール刑事は、著名な病理学者バーナード・スピルズベリー博士に捜査協力を依頼した。
スピルズベリー博士は、法医学調査の形を変えることになる「殺人バッグ」を開発した人物だ。
「殺人バッグ」とは、手袋、ピンセット、証拠袋などを備えた携帯用鑑識ツールキッドで、現在でも殺人現場に出動する刑事たちが携帯している。
スピルズベリー博士は、3人の女性たちの遺体を掘り起こし、抵抗した痕跡がないかどうかを確かめたが、首や手首に打撲痕などの目立った痕跡はなかった。
この事実は、自分の妻たちは健康上の問題を抱えていて、浴槽の中で突然死したのだというスミスの主張と矛盾がなかった。
だが、もし彼女たちが、入浴中に「発作」を起こして死んだのだとしたらどうだろう?体は硬直し、頭は水面下に沈むことなく、水面上にあったはずだ。
スピルズベリー博士は、スミスが女性たちの足首を掴み、いきなり引っ張ることで頭を水中に沈め、即座に溺死させたと結論付けた。
この方法なら女性たちは、反射的に気を失い、抵抗する間もなく溺れるため、争った跡が残らないと予測した。
そこでニール刑事は女性の水泳選手に協力してもらい、彼女を水中に沈めるさまざまな方法を試すという危険な実験を行った。
だが一歩間違えばニール刑事が殺人を犯す危険性もはらんでいたためこの実験はうまくいかなかった。
この画像を大きなサイズで見るimage credit:Pixabay裁判で有罪判決、死刑執行されるまで
スミスの裁判は、1915年6月に中央刑事裁判所(オールド・ベイリー)で始まった。これは厳密には、最初の犠牲者ベアトリス・マンディの事件についての裁判だった。
弁護側は、女性たちは足を滑らせた、洗髪中に突然意識を失った、てんかん発作を起こした、その他の偶発的な事故にあって亡くなったと主張したが、それらの発言はスピルズベリー博士によって否定された。
ベアトリスは発見されたとき、手に石鹸を握っていた。気を失って徐々に溺れていったのなら石鹸は手から落ちたはずだというのだ。
しかし、急激に死にみまわれた場合、手の筋肉の収縮が瞬間的に死の硬直へとつながり、死後も石鹸を握ったままということはありえるという。
だが、本当に発作を起こして亡くなったのなら、体が崩れていく動きの第2段階、第3段階の過程のどこかで石鹸は必ず手から落ちていたはずだと、スピルズベリー博士は主張した。
さらに博士は、スミスは女性たちの足首をつかんで引っ張り、頭を水中に沈めてあっという間に殺害したロジックを説明した。
妻たちは夫が単にふざけていただけと思ったおり、まさか殺されるなどとは思いもよらなかったのかもしれない。
また、父親が生命保険会社の外交員だったスミスは、保険金に関する知識もあったため、保険金殺人の疑いも濃厚だった。
殺された妻たちは皆、裕福な家庭の出だったが、1908年に結婚したエディス・ペグラーが死を免れたのは、彼女が下層階級の出身だったため、スミスにとってメリットがなかったからではないかという憶測が広まった。
しかし、ペグラーの証言はよくよく考えればぞっとするものだった。彼女はスミスからバスタブ周辺では気をつけるようにと注意されたことがあると証言した。
「女性は浴槽周辺では気をつけないと気を失って、死んでしまったりすることがあるから」と言われたのだという。
陪審員はわずか20分間の審議で、起訴通りスミスを有罪と評決し、死刑が宣告された。
スミスはメイドストーン刑務所に送られ、1915年8月13日に43歳で絞首刑になるまで数週間を過ごした。いまわの際にさんざん泣き叫んだとされている。
スミスは最後まで犯行を自供しなかったため、3人の女性たちを殺害した正確な方法については永久にわからないままになった。
ちなみにスミスは、ベアトリス・マンディを沈めたバスタブを返品して、代金を返してもらったという話も残されている。
References: The 'Brides in the Bath' Murders That Shocked Edwardian London / George Joseph Smith
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