75歳・天龍源一郎さんが大仁田厚とのトークバトルで見せつけた「ミスター・プロレス」としての永遠の輝き
75歳・天龍源一郎さんが大仁田厚とのトークバトルで見せつけた「ミスター・プロレス」としての永遠の輝き

75歳・天龍源一郎さんが大仁田厚とのトークバトルで見せつけた「ミスター・プロレス」としての永遠の輝き

75歳・天龍源一郎さんが大仁田厚とのトークバトルで見せつけた「ミスター・プロレス」としての永遠の輝き 2025年3月2日 6時0分スポーツ報知

 75歳になったその人は高層ビル12階の大きな窓のそばで真冬の陽光に包まれ、ほほ笑んでいた。

 「ミスター・プロレス」と呼ばれた天龍源一郎さんが24日、都内で「邪道」大仁田厚(67)との初めてとなる「トークバトル」を開催した。

 それは32年前のこと。1993年、内勤部署の整理部を経て取材部門に異動した私が初めて手がけたのが、カラー1個面すべてを使っての「ファイト93」と題したプロレス特集面だった。

 たった1人の格闘技担当記者として、前田日明、高田延彦、藤波辰爾、大仁田から参院議員だったアントニオ猪木氏まで当時のトップレスラーに次々と単独インタビューしていく、ぜいたくな毎日。そんな中にWAR(当時)の総帥として単身、新日本プロレスに乗り込み、不沈艦のような強さで新日が誇るスターたちを次々と撃破していた当時43歳の天龍さんがいた。

 「よく来たね~」―。東京・羽田にあった道場で、そんな言葉で迎えてくれた「ミスター・プロレス」は相撲仕込みの激しいトレーニングを包み隠さず見せてくれた上で明晰な頭脳から紡ぎ出される言葉の力で駆け出し記者を魅了した。

 「40歳を過ぎて輝く瞬間が与えられたのがうれしい。今は天狗になって、そっくり返って歩いてやろうと思ってるよ」―

 「相撲くずれにだけはなりたくなかった。相撲がダメだったからプロレスとか、ふざけるなって。レスラーにとって大切なのはプライドなんだよ」―

 そんな言葉の数々を必死にノートに写し取ってから32年が過ぎた。

 久しぶり過ぎる再会。現在、脊髄症(せきずいしょう)、脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)などの療養中のため移動はすべて車いす。32年前に189センチ、120キロあった、その巨体はすっかり縮んで見えた。

 イベント前に駆け寄って32年ぶりに名刺を差し出すと「そうかー。道場にも来てくれたんだっけ」と、そこだけはまったく変わらないウエルカムな笑顔で迎えてくれた。

 対談相手の大仁田とはともに全日本プロレス出身。1974年、15歳で入門の大仁田の方が大相撲から転身の天龍さんより2年先輩も8歳年下。「邪道」の方が終始、敬語を使ってのトークとなった。

 2人にとってのクライマックスが1994年5月5日、5万人の観客を飲み込んだ川崎球場(現・富士通スタジアム川崎)での大仁田率いるFMW大会での「ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ」だった。

 31年前の大一番は合計3度被弾した大仁田がほぼグロッギー状態になったところを天龍さんが必殺のパワーボムで仕留め、3カウント奪取。全日出身者同士らしい技の攻防が繰り広げられた大熱戦に敗れた「邪道」は血まみれのまま、1年後のFMW川崎球場大会での二度目の引退を表明したのだった。

 そんな“後輩”とのトークで天龍さんは持ち前の言葉力を全開にした。

 冒頭、「元気ですかー! ちょっと(アントニオ)猪木さんのマネをしてみたよ」と口にして集まった約80人のファンを笑わせると、「みんなが『邪道だ』『あんなのプロレスじゃない』って言っていた中でトップ中のトップの天龍さんが川崎で電流爆破を受けてくれたことで今の僕がある。本当に感謝してます」という大仁田の言葉を余裕の笑顔で受け止めた。

 「正直、デスマッチはプロレスの範疇から離れてると思っていて、大仁田君の電流爆破も何やってるんだよと思っていた。でも、電流爆破(のブーム)がウワッと来て、どれだけ自分の体にダメージがあるか1回出てみようと思ったんだ。1回経験してみないと偉そうなこと言えないからさ」と、当時の心境を吐露。

 「でも、最初に被弾して、蛍光灯の破片がブチブチ刺さって『痛てーっ!』って。これは大変なことだなって。並大抵なことじゃないなってさ」と振り返ると「それをずっとやってる大仁田君はプロレスに対する執念がすごいと思うよ。たいしたもんだよ。ただ、それを受けた俺は、そこが(大仁田戦で電流爆破を避けた)長州(力)さんと違うところだよ」と、永遠のライバルをディスって見せた。

 「ただし…」と続けると「川崎で勝ってリング上で何言おうかコメントを考えてたら、大仁田君が『やめる』って言って、紙面、全部『大仁田引退』に取られて。あれは頭にきたなあ。俺、何しに行ったんだよって。うまいこと、大仁田君に上手まわしを取られたなあ」と相撲用語まで繰り出して、爆笑を誘った。

 これには大仁田も「(1984年に左膝蓋骨粉砕骨折で1度目の)引退した後、天龍さんと(ジャンボ)鶴田さんの試合を武道館で見て、すごく感動した。プロレスっていいなあって思って、それが(7度の)カムバックにつながってしまった。俺のプロレス復帰の原因は天龍さんだよ」と復帰秘話を披露してお返し。

 最後は「天龍さん、もしよろしければ次の次かの天龍プロジェクトに参戦できたらうれしいです。天龍さんとのトークあり、試合ありでどうですか?」と呼びかけた大仁田に対し、「川崎で俺が勝ったのに勝手に引退してさ。あれをずっと根に持っていたけど、今はもう今日の空のようにあっぱれだよ。ありがとう! 大仁田君」と、それこそ、あっぱれな笑顔を満開にして、がっちりと握手をかわした天龍さん。

 1時間にわたって昭和からのプロレスファンを魅了したトークショーを終え、車いすの上でほほ笑んでいた天龍さんに私はこう声をかけた。

 「久しぶりにお会いできて、うれしかったです。また、取材させて下さい」―。

 ちょっと前のめり気味のこの言葉に「ミスター・プロレス」は「また」―。一言だけ口にすると、長年、プロレスファンを魅了してきた穏やかな笑みを浮かべた。

 「ミスター・プロレス」と「邪道」。プロレス界で正反対の双曲線を描いてきたスーパースター2人が生の言葉で語り続けた、あまりにもぜいたくな1時間。会場を出た私の耳には天龍さんが口にした「また」という言葉が、ある種の多幸感とともにいつまでもこだましていた。(記者コラム・中村 健吾)

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