1972年 日中国交正常化という言い方は北京政府のプロパガンダ
スポンサーリンク1972年の日中国交正常化に関して、倉山満さんの記事を紹介します。
亡国前夜(4)―田中角栄は大政治家か – https://t.co/MsziO2b4Pa
— 倉山満の砦 (@kurayama_toride) May 3, 2017
田中角栄、良くも悪くも戦後日本を作った大政治家であると評されることが多い。本当か?
(中略)
総理大臣の時、経済政策には完全に失敗している。唯一の功績として教科書に載っているが、一九七二年の日中国交回復(正常化)とか。台湾を切って大陸と手を組んだのが、なぜ偉いのか、今となってはさっぱりわからない。そもそも中国と「国交回復」とか「正常化」とか、そういうものの言い方自体が、北京政府のプロパガンダそのままではないか。日本政府の立場としては、一九五二年日華平和条約によって、中国(中華民国)との外交関係正常化と果たしているのである。田中がやった一九七二年の合意は、「北京政府を中国の政府として認める」であって、国家承認をした訳ではない。中国と自称する国の存在はとっくに日本は認めて居るのであって、その代表である政府の認定を変更しただけである。「国交回復」「国交正常化」という言い方自体が自分の国の過去の行為を抹消するということにいい加減気付かねばならない。(以下略)
重要なご指摘と思います。
YouTube上のANNの動画を共有します。
2022/09/29 1972年、昭和47年9月7日、当時、自民党副総裁だった椎名悦三郎氏が、大平正芳外務大臣を訪ねました。 日本と中国との国交正常化への動きが急ピッチで進む中、北京の中国政府と対立する国民政府、台湾に説明して理解を得るために、椎名氏が政府特使として派遣されることになっていました。 その打ち合わせです。 中国と国交を結んでも台湾との繋がりは今後もつづきます。 そのための特使ですが、日本が中国との国交回復へと動く中、日台関係は険悪になり、台湾側は特使の受け入れをなかなか認めませんでした。
(中略)
訪中団に遅れること3日。 9月17日、ようやく椎名悦三郎自民党副総裁が台北に出発します。 自民党訪中団より前に台湾へ飛ぶ予定でしたが、台湾側が受け入れを渋っていたため、この日になりました。 こちらは17人。 壮行会も訪中団のときとくらべてちょっと寂しいですが、それでも大平正芳外務大臣があいさつ。 重責を担う椎名特使は緊張の面持ちに見えます。 田中総理の親書を携えての台北行きです。 乾杯の音頭は二階堂進官房長官が取りました。 見送る人数は少なくても、送る人の熱量は負けていないようです。 困難な任務に向かう一行へのエールでしょうか。
一行も笑顔で応えますが、台北では厳しい出迎えが待っていました。 到着するや、およそ1000人の学生に取り囲まれ、車を蹴られたり、ものを投げつけられたりしたのです。
9月19日夜、椎名悦三郎特使らが帰国しました。 橋本登美三郎自民党幹事長、大平正芳外務大臣、二階堂進官房長官らが難しい役目を果たした一行を出迎えます。
羽田空港近くのホテルで記者会見し、台湾側の蒋経国行政院長、沈昌煥外交部長らとの会談の内容を説明しました。 台湾滞在中は、レセプションなども一切なく、針のむしろに座るような滞在でした。
この10日後、9月29日に田中角栄総理らが北京で日中共同声明に署名。 大平外務大臣は日華条約の破棄と、台湾との国交断絶を明言しました。
2カ月後、台湾・国民政府の彭孟緝駐日大使です。 政界を引退したばかりの賀屋興宣元法務大臣と握手します。 日本との外交関係がなくなり、11月28日、羽田空港から日本を離れました。 大ぜいの人が見送ります。 彭大使も両手を振って応えます。 飛行機の中に入る直前まで別れを惜しむようにお辞儀をして、手を振り続けました。
翌々日の11月30日、残務処理で台湾に残っていた日本の宇山厚大使が帰国しました。 ゆっくりタラップを降りてきます。 報道陣へのサービスでしょうか、タラップで立ち止まりました。 出迎えの人びとと握手します。 宇山氏はこのあとブラジル大使、国連大使、イラン大使などを務めました。
現在、トランプが関税を使って中国との闘いを進めています。
今回のトランプ関税戦争は、中国共産党政権を潰す大きなチャンスでもある。日本はその意識のもと、アメリカとのディールを早期に決着させねばならない。その際、中国との様々な癒着を断ち切ることを重要カードとすべきだ。
— 島田洋一(Shimada Yoichi) (@ProfShimada) April 9, 2025
このタイミングで石破首相の親書を習近平に手渡す?公明党が訪中して,中国とトランプ関税への対応を協議する?
米中新冷戦の中、何するの?トランプ政権を刺激し、益々“信頼できない”🇯🇵首相となるよ経済安全保障の戦略で動くべき時に、なんで中国に擦り寄るの?理解できない https://t.co/Wefo6eBklF pic.twitter.com/nitMRJE7zb
— Chieko Nagayama (@RibbonChieko) April 9, 2025
これらは、以前にツィートした印中関係の長期トレンドを補完する短期トレンドとしての予測。印中関係の改善は、往々にして日本にとっては好ましくない結果を生み出すので、大変に厄介。… pic.twitter.com/1rQxFX1LhI
— 中川コージ/ Dr.NAKAGAWA (@kozijp) April 8, 2025
これらは、以前にツィートした印中関係の長期トレンドを補完する短期トレンドとしての予測。 印中関係の改善は、往々にして日本にとっては好ましくない結果を生み出すので、大変に厄介。
とはいえ、日本は米中印の並列対立当事者国ではないので、インテリジェンス体制さえ拡充しておけば、悪くないポジションに入り込むことも可能ではあるんだけれども。 実際、どの政党の誰が旗振りをするのかについては、なかなか厳しい。そういう意味では、起点は外交問題ではあるけれども、おおよそが内政の問題。
こういう時だからこそ日中・日台間の歴史について改めて確認をしておきたいところです。
ついでに、米国と中国の歴史についてのX上のポストを紹介します。ポスト内容の出典は藤井厳喜さんの著書です。
■ニクソン・キッシンジャーの失敗中国共産党はソ連の支援を受けて国民党との内戦に勝利したわけで、一九四九年に中華人民共和国が成立した頃はソ連の従順な同盟国であった。しかし、 中ソ対立の時代となり、二〇年後の一九六九年には中ソ国境地帯で軍事紛争が勃発する。黒竜江のダマンス キー島、
— 風狂@安全保障なしに生活はない! (@hybs46) December 2, 2020
かった。だから、アメリカ側からすれば、強気に交渉を進められたはずであるところが、キッシンジャーは中国側の要求をほとんど丸呑みし、受け入れる必要のない妥協まで次々に受け入れてしまった。中国に買収されたか、 と疑われてもおかしくないほど大幅な譲歩であった。キッシンジャーのことをパワー
— 風狂@安全保障なしに生活はない! (@hybs46) December 2, 2020
キッシンジャーも毛沢東や周恩来に翻弄され、手玉に取られたのだ。米ソ冷戦時代、アメリカが対中国の外交政策を転換して米中国交正常化したことは、ソ連の脅威に対抗するという意味で、戦略的に間違ってはいなかった。日本にしても一九七二年に田中角栄首相が日中国交回復をして以来、日中友好に努め
— 風狂@安全保障なしに生活はない! (@hybs46) December 2, 2020
二の経済大国に伸し上がった。また、軍事力を飛躍的に増大させ、軍事大国にもなった。なった。アメリカは自らの外交的な失敗によって、中国という新たな脅威を作り出してしまったのである。アメリカ外交の、もう一つの大失敗である。
藤井厳喜「紛争輸出国アメリカの大罪」
— 風狂@安全保障なしに生活はない! (@hybs46) December 2, 2020