【高校】日本史(鎌倉時代)の練習問題
【高校】日本史(鎌倉時代)の練習問題

【高校】日本史(鎌倉時代)の練習問題

高校日本史、鎌倉時代の練習問題です。

すべて教科書にある基本レベルの問題なので、先取り学習、復習に使用できます。

内容は、鎌倉幕府の成立、北条氏の執権政治、鎌倉時代の社会・経済、蒙古襲来、鎌倉仏教、鎌倉文化、です。

年表問題もあるので、時系列で知識の理解と整理に活用してください。

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前回、院政期の練習問題はこちらです。

【高校】日本史(院政期)の練習問題高校日本史の平安後期、の練習問題と年表問題を用意しました。歴史が苦手な人、定期テスト対策、模試で40点未満の人、などのための問題集です。11世紀、上皇と武士が政治の表舞台に登場します。nyama-sensei.com目次
  1. 鎌倉時代の練習問題
    1. 歴史は暗記しない
    2. 鎌倉幕府の成立についての問題
    3. 執権政治の問題
    4. 鎌倉時代の社会・経済についての問題
    5. 蒙古襲来の問題
    6. 鎌倉仏教の問題
    7. 鎌倉文化の問題
  2. 鎌倉時代の年表
  3. 鎌倉時代の解答
    1. 鎌倉幕府の成立についての解答
    2. 執権政治の解答
    3. 鎌倉時代の社会・経済についての解答
    4. 蒙古襲来の解答
    5. 鎌倉仏教の解答
    6. 鎌倉文化の解答

鎌倉時代の練習問題

歴史は暗記しない

歴史は人の名前や、事件、難しい用語を丸暗記する教科ではありません。

事件の背景、展開、結果を整理して、その時代の特徴を理解してください。

鎌倉時代は平安時代や院政期と比べて、難しい内容はなく、シンプル。

この問題は、次の手順ですすめてください。

  1. 教科書・資料集を見ながら「ポイントの整理」を解く
  2. 「ポイントの整理」を音読する
  3. 確認問題・年表問題をする
  4. もう一度、問題を解く

間違っても、解答の丸暗記は止めてください。

鎌倉幕府の成立についての問題

ポイントの整理 ・平清盛が鹿ケ谷の陰謀の後、(①      )を幽閉したことで、公家(武士以外貴族)・平氏以外の武士らの不満を高めた。 ・①の子(     )が平氏打倒の(    )を全国の武士に出し、源氏対平氏の戦いが始まった。 ・平清盛は大輪田泊のある(     )への遷都に失敗し、すぐに死去した。西日本に飢饉が発生し、平氏が弱体化した。 ・(②     )(九郎判官ら)が活躍して、1185年(     )で平氏を滅ぼした。この五年間の戦乱を(        )という。 ・源頼朝は(   )を拠点に、(     )の武士を御家人として従えた。 ・1183年、頼朝は東日本の支配権を①に認めさせた。1185年、頼朝は京都に軍勢を送り、力で全国に(    )・(    )を置くことを認めさせ、これをもって(      )成立とする。 ・1189年、弟の②をかくまった理由で(      )を滅ぼし、①の死後(       )に任じられた。

・中央機関は、御家人を組織・統制する(   )、政務・財政を司る(     )、裁判を担当する(     )とシンプルなものだった。 ・(   )は東国(東日本)出身の武士が各国に任命され、権限は、京都の警護に諸国の御家人を集めたり、謀反人・殺害者を逮捕したり、治安維持と警察権など(        )に限定された。東日本は実質幕府の支配地であり、その他の地域でも幕府の命令で土地調査をし、(      )が作成された。 ・幕府は御家人から(     )を任命し、平氏から没収した領地に置き、年貢の徴収、土地管理、治安維持の権限を与えた。それ以外の地域では、既存の荘官が(    )になった。 ・幕府は御家人に対し、先祖伝来の土地の支配権を認める(      )や 新たな領地を与える(     )という(   )の権利を認めた代わりに、京都大番役・鎌倉番役などの(   )を義務として課し、土地を介した契約関係を(     )という。 ・幕府は治安維持や年貢の確保などで(     )の支配を助けたが、(    )・(    )の現地支配が強まると、国司・荘園領主との対立が多くなった。

守護、地頭、以仁王(もちひとおう)、大犯三カ条(だいぼんさんかじょう)、問注所、侍所、政所、大田文(おおたぶみ)、朝廷、本領安堵、御恩、奉公、征夷大将軍、鎌倉幕府、後白河法皇、東国、西国、令旨(りょうじ)、恭仁京、福原京、源義経、壇ノ浦の戦い、治承・寿永の乱、承平・天慶の乱、奥州藤原氏、新恩給与、封建制度、

確認問題 問1、平氏への不満が増大した理由は何か。 問2、伊豆で挙兵し合戦より政治で優れた才能を発揮した源氏の棟梁はだれか。 問3、源義経をかくまった理由で滅ぼされた東北地方の武士はだれか。 問4,鎌倉幕府の御家人を組織した機関の初代長官(別当)で、二代執権北条義時に滅ぼされたのは、だれか。 問5,鎌倉幕府の一般政務や財政を担当した機関の初代長官(別当)で、公家出身の人物はだれか。 問6,鎌倉幕府の裁判を担当した機関の初代長官(執事)で、公家出身の人物はだれか。

解答はこちらです!執権政治の問題

ポイントの整理 ・頼朝の死後、伊豆の在庁官人で平氏出身の(     )が執権になり、2代将軍頼家の後見の(       )を滅ぼし、頼家を幽閉した。以後、(     )が執権の地位を世襲した。 ・2代目執権(      )は、侍所の(     )を滅ぼし、政所と合わせて支配権をにぎった。 ・これに対して、(       )は、幕府に対抗しようと西面の武士を組織し、幕府との連絡役だった源公暁に3代将軍(    )を暗殺させたことをきっかけに、1221年(      )が起きた。 ・幕府側は京都を占拠し勝利をおさめ、朝廷と西国の武士の監視として京都に(      )を置いた。没収した上皇領に(      )を任命した。

・3代目執権(       )は執権の補佐役として(    )を置き、11~15人の(       )で幕府の政務を合議制で決めた。 ・1232年(        )を定め、武士社会のルールに基づき、守護・地頭の任務・権限を決め、紛争を公平に裁く規準を明らかにした。これは律令制からの公家法などを否定するものではなかった。

・5代目執権(      )のとき、(      )で三浦泰村の一族を滅ぼし、執権の地位を強化した。 ・さらに、訴訟処理の迅速化をはかるため、御家人の訴状を専門に扱う(     )を設置した。藤原将軍に代わり(       )の子を将軍に迎え、鎌倉に本格的な(     )の寺院を建立した。

後嵯峨上皇、後鳥羽上皇、北条泰時、北条義時、北条時政、北条時頼、新補地頭、引付衆、評定衆、御成敗式目、和田義盛、宝治合戦(ほうじかっせん)、比企能員(ひきよしかず)、源実朝、承久の乱、六波羅探題、京都大番役、連署(れんしょ)、浄土真宗、時宗、禅宗、

確認問題 問1,それぞれの執権が行ったことについて、表を完成させてください。

執権将軍上皇出来事①源頼家後鳥羽1203、(       )の乱 ⇒政所の別当となる(執権)源実朝②1213、(        )の乱 ⇒政所と侍所の両別当を兼任(執権地位の確立)藤原頼経1221、(      )の乱 ⇒京都に(        )を設置③1225、(     )を設置、叔父の北条時房が就任 1225、(       )を設置 1226、藤原頼経が将軍に 1232、(        )を制定⑤宗尊親王後嵯峨1247、(        )で三浦泰村を滅ぼす 1249、(     )を設置し、訴訟を迅速化 1252、宗尊親王が将軍に比企能員(ひきよしかず)、和田義盛(わだよしもり)、宝治合戦(ほうじかっせん)、引付衆、評定衆、連署、承久、六波羅探題、御成敗式目、北条泰時、北条時頼、北条時政、北条義時、解答はこちらです!鎌倉時代の社会・経済についての問題

ポイントの整理 ・武士は(      )の系譜を引き継ぎ、平野の微高地に(    )を構えた。 ・武士は血縁的統制のもと一門として結集し、宗家のリーダー(     )が戦時に指揮官となってまとめ、平時は(    )の納入や庶子への負担の割り当て、祖先の祭祀も務めた。これを(     )という。 ・幕府の政治・軍事体制も(      )を基本としていた。 ・所領の相続は(      )が原則で、女性も相続ができた。 ・武士の道徳は、(       )と呼ばれ、流鏑馬・笠懸・犬追物など訓練に励み質素な生活で、主人に対する献身など、後世の武士道につながった。 ・(      )後、東国出身の武士が西日本に所領を持つと荘園領主との紛争が増えた結果、領主たちは武士に土地の管理を任せる(         )や、所領を折半して相互の支配権を認める(       )が増え、地頭の支配権が拡大した。

・蒙古襲来の前後から、西日本で裏作に麦を育てる(    )が普及し、多収穫米の大唐米も輸入され、肥料に刈敷・(     )を用い、耕作に(     )を用いるようになった。 ・荘園・公領などの交通の要地や寺社の門前で(     )が開かれ、月に三度の(     )も多く、米や特産物の売買が行われ、京都・鎌倉など中心地では常設の店舗である(     )が出現した。 ・手工業者や商人は(   )という組合を作り、寺社や天皇の庇護をうけた。 ・商品の流通には、陸上には宿という要地があり、海上輸送を専門とする(    )が発達した。 ・売買には現物に代わって(    )が利用され、遠隔地の取引には(      )が使われ、(    )など高利貸し業もあった。

弓馬の道、城、館、惣領、年貢、下地中分(したじちゅうぶん)、地頭請所、分割相続、惣領制、承久の乱、治承・寿永の乱、牛馬、二毛作、座、問、酒屋、借上、定期市、見世棚(みせだな)、三斎市、宋銭、為替、草木灰、馬借、株仲間、

確認問題 問1、所領の相続は、原則どのようなものであったか。 問2、この時代から、農耕に用いるようになったものは次のうちどれか、2つ選択してください。 水車、竜骨車、金肥、鉄製農具、牛馬、草木灰、 問3、平安後期ごろから、大寺社や天皇に特権を認められた同業者団体を何というか。 問4、遠隔地間の取引には、宋銭の手形として何が使われたか。

解答はこちらです!蒙古襲来の問題

ポイントの整理 ・元はモンゴル帝国の五代目(      )が国名を改め、都を(    )に置いた。チベットや高麗を属国に組み込み、日本や東南アジアにも朝貢を求めた。 ・1274年(     )では苦戦を強いられたので、幕府は執権(      )のとき、警護を補強するため(       )を強化し、博多湾沿いに(     )を構築させた。 ・元は(    )を滅ぼした後、1281年(     )で14万の大軍で押し寄せたが、暴風雨で失敗した。 ・北条氏一門が九州の政務・裁判・御家人の統制をした機関を(      )という。 ・(     )とは北条氏嫡流を差し、その家臣である(①      )が幕府のほとんどの権力をにぎり、御家人と対立した。1285年(      )では御家人の安達泰盛が①に滅ぼされた。その後の政治体制を(       )という。 ・元寇の後、御家人への(     )が不十分だったこともあり、幕府に不満を抱える御家人が増え、政治が揺らぎ始めた。 ・(     )を繰り返した結果、窮乏する御家人が増え、所領の相続を一代限りにする(     )が増えた。幕府は(       )を出し、所領の質入れ売買の禁止、御家人への無償返還を命じたが、効果は一時的だった。 ・近畿地方では年貢の納入を拒否し、荘園領主に反抗する(    )が出現した。

・琉球では(      )を経て、12世紀ごろから農耕生活が始まり、首長の(    )のもと、(    )を築きはじめた。 ・北海道では続縄文文化の後、独自の文化である(     )と(      )が展開した。13世紀には(     )文化が生まれ、津軽の(     )で安藤氏と交流を始めていた。

グスク、按司、擦文文化、貝塚文化、オホーツク文化、フビライ=ハン、チャガタイ=ハン、防塁、鎮西探題、異国警固番役、十三湊(とさみなと)、得宗専制政治、御内人(みうちびと)、アイヌ、永仁の徳政令、弘安の役、霜月騒動、得宗、南宋、高麗、恩賞、大都(北京)、悪党、一期分(いちごぶん)、文永の役、分割相続、北条時宗、北条貞時、解答はこちらです!鎌倉仏教の問題

ポイントの整理 ・浄土宗を開いた(   )は(     )を説き、公家・武士・庶民に支持されるも、旧仏教から非難を受け、迫害される。著書に「選択本願念仏集」があり、中心寺院は(    )である。 ・浄土真宗を開いた(    )は、師の教えを発展させ(     )を説き、武士や農民に支持される。著書に「教行信証」と弟子の唯円(    )があり、中心寺院は(    )である。 ・時宗の(   )は(    )を広め、地方の武士や民衆に広まった。布教の様子を描いた(     )が有名で、中心寺院は(    )である。 ・日蓮宗は(     )を釈迦の正しい教えとし、(     )を唱えるだけで救済されると説き、幕府から迫害を受けるが、関東の武士や商工業者に広まる。中心寺院は(     )である。 ・宋から禅宗が伝わり、栄西は(    )を開き、釈迦の境地に近づく修行に(    )を主眼とし、幕府から支持される。著書に「興禅護国論」、中心寺院は(     )。 ・同じく禅宗の道元は(    )を開き、(     )を説き、広く武士や庶民に門戸を開いた。著書に「正法眼蔵」、中心寺院は(     )。 ・旧仏教で戒律の再興を務めたのに(    )・(    )がおり、(     ) は病人救済のため北山十八間戸を建てた。 ・伊勢外宮の神官である(    )は、(     )で神本仏迹説を説いた。

貞慶(じょうけい)、明恵(みょうえ)、渡会家行(わたらいいえゆき)、一遍上人絵伝、専修念仏(せんじゅねんぶつ)、知恩院(ちおんいん)、久遠寺(くおんじ)、親鸞(しんらん)、悪人正機(あくにんしょうき)、歎異抄(たんにしょう)、本願寺(ほんがんじ)、一遍(いっぺん)、北山十八間戸、臨済宗、曹洞宗(そうとうしゅう)、題目、踊念仏、法華経、清浄光寺(しょうじょうこうじ)、永平寺、建仁寺(けんにんじ)、只管打座(しかんだざ)、忍性(にんしょう)、公案問答(こうあんもんどう)、伊勢神道、

確認問題 問1、鎌倉新仏教について、次の表を完成させてください。

宗派開祖教義中心寺院浄土宗専修念仏を説く 著書『選択本願念仏集』浄土真宗悪人正機を説く(唯円『歎異抄』)本願寺時宗踊念仏を広める 「         」(絵巻物)清浄光寺題目日蓮宗題目を唱えるだけ救われると説く 著書『立正安国論』臨済宗著書『喫茶養生記』(茶の風習) 幕府が保護 北条時頼は(       ):建長寺 北条時宗は(       ):円覚寺曹洞宗只管打座(ひたすら坐禅を行う)を唱える 著書『正法眼蔵』建仁寺、久遠寺、知恩院、永平寺、一遍、親鸞、日蓮、道元、法然、栄西、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)、無学祖元(むがくそげん)、禅宗、念仏、一遍上人絵伝、

 

解答はこちらです!鎌倉文化の問題

ポイントの整理 ・文学 ・随筆では、鴨長明の(     )や兼好法師の(     )において世の無常が説かれた。 ・和歌では、後鳥羽上皇の命により藤原定家らが(        )を編纂し、武士出身の(    )が『山家集』を残し、三代将軍(     )も『金槐和歌集』を残した。 ・学問は、公家の間で朝廷の儀式や先例を研究する(      )が盛んになり、幕府も執権政治のもと編年体の歴史書(      )を編纂し、北条氏一門の金沢実時らが和漢の書物を集め(       )を設けた。 ・承久の乱の直前に、慈円が(     )を表し、道理による歴史解釈を試みた。 ・軍記物語のなかでも、平氏の興亡を描いた(      )が(       )によって語られた。 ・紀行文では阿仏尼の(      )、説話集では橘成季の(       )、無住の(       )がある。

・建築 ・治承・寿永の乱で焼失した東大寺は、重源が寄付を集め、宋人の陳和卿により再建した。この時の建築様式を(      )といい、(①         )が代表例である。 ・禅宗が発達したことに伴い、(       )が伝わり、(        )が代表例である。 ・彫刻 ・彫刻では奈良仏師の(      )・(      )が活躍し、①の(          )が代表作である。浄土教を広めた(      )が六波羅蜜寺に所蔵されている。

・絵画 ・絵画では(      )の生涯を描いた「北野天神縁起絵巻」、などの絵巻物がある。 ・大和絵の手法を用いて、(     )という肖像画や、(     )という禅僧の肖像画も描かれた。

源実朝、沙石集、愚管抄、西行、頂相(ちんぞう)、十六夜日記(いざよいにっき)、古今著聞集、金沢文庫、有職故実、吾妻鏡、琵琶法師、新古今和歌集、徒然草、方丈記、大仏様、折衷様、金剛力士像、高徳院阿弥陀如来坐像(鎌倉の大仏)、法然像、空也像、東大寺南大門、円覚寺舎利殿、平家物語、禅宗様、菅原道真、似絵、運慶、快慶、解答はこちらです!

鎌倉時代の年表

次の空欄に適切な語句を入れ、表を完成させてください。

執権出来事1203、(      )を滅ぼす⇒政所の別当となる 1204、源頼家(2代将軍)を殺害1213、(        )を滅ぼす(和田合戦)⇒侍所の別当と兼任 1219、源実朝(3代将軍)を暗殺 1221、(        )に勝利⇒六波羅探題を設置 1223、旧上皇領に(       )を設置1225、執権の補佐役に(      )を設置 1225、(      )を置き、11人の合議制で運営 1226、藤原(九条)頼経を将軍に置く⇒摂家将軍 1232、(         )を制定北条経時1247、(       )で三浦泰村らを滅ぼす 1249、(       )を置き、裁判を迅速化 1252、摂家将軍を廃し、宗尊親王を将軍に立てる(皇族将軍)長時政村1268、高麗使、蒙古の国書を持参1271、九州に所領をもつ御家人に下向を命じる 1274、(       ) 1275、(        )を強化 1281、(        )1285、(        )で安達泰盛が敗れる 1287、幕府が皇位継承に介入 1293、(         )を設置 1293、平頼綱を滅ぼす⇒(       )が開始 1297、(          )⇒御家人の救済策も効果は限定的 1301年、幕府が皇位継承に介入⇒(       )の開始以下、10~14代1317、文保の和談⇒花園天皇の譲位を決定 (この時期から、北条氏が30カ国守護を独占) 1324、正中の変⇒後醍醐天皇の倒幕計画が失敗霜月騒動、鎮西探題、文禄の役、文永の役、異国警固番役、引付衆、評定衆、御成敗式目、新補地頭、比企能員、宝治合戦、霜月騒動、得宗専制政治、両統迭立、連署、承久の乱、弘安の役、永仁の徳政令、和田義盛、北条時宗、北条政宗、北条貞時、北条義時、北条時頼、北条泰時、

 

鎌倉時代の解答

鎌倉幕府の成立についての解答

ポイントの整理 ・平清盛が鹿ケ谷の陰謀の後、(①後白河法皇)を幽閉したことで、公家(武士以外貴族)・平氏以外の武士らの不満を高めた。 ・①の子(以仁王)が平氏打倒の(令旨)を全国の武士に出し、源氏対平氏の戦いが始まった。 ・平清盛は大輪田泊のある(福原京)への遷都に失敗し、すぐに死去した。西日本に飢饉が発生し、平氏が弱体化した。 ・(②源義経)(九郎判官ら)が活躍して、1185年(壇ノ浦の戦い)で平氏を滅ぼした。この五年間の戦乱を(治承・寿永の乱)という。 ・源頼朝は(鎌倉)を拠点に、(東国)の武士を御家人として従えた。 ・1183年、頼朝は東日本の支配権を①に認めさせた。1185年、頼朝は京都に軍勢を送り、力で全国に(守護)・(地頭)を置くことを認めさせ、これをもって(鎌倉幕府)成立とする。 ・1189年、弟の②をかくまった理由で(奥州藤原氏)を滅ぼし、①の死後(征夷大将軍)に任じられた。

・中央機関は、御家人を組織・統制する(侍所)、政務・財政を司る(政所)、裁判を担当する(問注所)とシンプルなものだった。 ・(守護)は東国(東日本)出身の武士が各国に任命され、権限は、京都の警護に諸国の御家人を集めたり、謀反人・殺害者を逮捕したり、治安維持と警察権など(大犯三カ条)に限定された。東日本は実質幕府の支配地であり、その他の地域でも幕府の命令で土地調査をし、(大田文)が作成された。 ・幕府は御家人から(地頭)を任命し、平氏から没収した領地に置き、年貢の徴収、土地管理、治安維持の権限を与えた。それ以外の地域では、既存の荘官が(地頭)になった。 ・幕府は御家人に対し、先祖伝来の土地の支配権を認める(本領安堵)や 新たな領地を与える(新恩給与)という(御恩)の権利を認めた代わりに、京都大番役・鎌倉番役などの(奉公)を義務として課し、土地を介した契約関係を(封建制度)という。 ・幕府は治安維持や年貢の確保などで(朝廷)の支配を助けたが、(守護)・(地頭)の現地支配が強まると、国司・荘園領主との対立が多くなった。

守護、地頭、以仁王(もちひとおう)、大犯三カ条(だいぼんさんかじょう)、問注所、侍所、政所、大田文(おおたぶみ)、朝廷、本領安堵、御恩、奉公、征夷大将軍、鎌倉幕府、後白河法皇、東国、西国、令旨(りょうじ)、恭仁京、福原京、源義経、壇ノ浦の戦い、治承・寿永の乱、承平・天慶の乱、奥州藤原氏、新恩給与、

確認問題 問1、鹿ケ谷の陰謀をきっかけに、後白河法皇を幽閉し、ほとんどの役職を平氏が独占し、孫の安徳天皇を即位させたから。 問2、源頼朝 問3、奥州藤原氏(藤原泰衡) 問4,和田義盛 問5,大江広元(おおえのひろもと) 問6,三善康信(みよしのやすのぶ)

日本史の教科書が難しいと感じる人におすすめの参考書です。

リンク「金谷の日本史 なぜと流れがわかる本」(中世・近世史)執権政治の解答

ポイントの整理 ・頼朝の死後、伊豆の在庁官人で平氏出身の(北条時政)が執権になり、2代将軍頼家の後見の(比企能員)を滅ぼし、頼家を幽閉した。以後、(北条氏)が執権の地位を世襲した。 ・2代目執権(北条義時)は、侍所の(和田義盛)を滅ぼし、政所と合わせて支配権をにぎった。 ・これに対して、(後鳥羽上皇)は、幕府に対抗しようと西面の武士を組織し、幕府との連絡役だった源公暁に3代将軍(源実朝)を暗殺させたことをきっかけに、1221年(承久の乱)が起きた。 ・幕府側は京都を占拠し勝利をおさめ、朝廷と西国の武士の監視として京都に(六波羅探題)を置いた。没収した上皇領に(新補地頭)を任命した。

・3代目執権(北条泰時)は執権の補佐役として(連署)を置き、11~15人の(評定衆)で幕府の政務を合議制で決めた。 ・1232年(御成敗式目)を定め、武士社会のルールに基づき、守護・地頭の任務・権限を決め、紛争を公平に裁く規準を明らかにした。これは律令制からの公家法などを否定するものではなかった。

・5代目執権(北条時頼)のとき、(宝治合戦)で三浦泰村の一族を滅ぼし、執権の地位を強化した。 ・さらに、訴訟処理の迅速化をはかるため、御家人の訴状を専門に扱う(引付衆)を設置した。藤原将軍に代わり(後嵯峨上皇)の子を将軍に迎え、鎌倉に本格的な(禅宗)の寺院を建立した。

後嵯峨上皇、後鳥羽上皇、北条泰時、北条義時、北条時政、北条時頼、新補地頭、引付衆、評定衆、御成敗式目、和田義盛、宝治合戦(ほうじかっせん)、比企能員(ひきよしかず)、源実朝、承久の乱、六波羅探題、京都大番役、連署(れんしょ)、浄土真宗、時宗、禅宗、

確認問題 問1,それぞれの執権が行ったことについて、表を完成させてください。

執権将軍上皇出来事①北条時政源頼家後鳥羽1203、(比企能員)の乱 ⇒政所の別当となる(執権)源実朝②北条義時1213、(和田義盛)の乱 ⇒政所と侍所の両別当を兼任(執権地位の確立)藤原頼経1221、(承久)の乱 ⇒京都に(六波羅探題)を設置③北条泰時1225、(連署)を設置、叔父の北条時房が就任 1225、(評定衆)を設置 1226、藤原頼経が将軍に 1232、(御成敗式目)を制定⑤北条時頼宗尊親王後嵯峨1247、(宝治合戦)で三浦泰村を滅ぼす 1249、(引付衆)を設置し、訴訟を迅速化 1252、宗尊親王が将軍に比企能員(ひきよしかず)、和田義盛(わだよしもり)、宝治合戦(ほうじかっせん)、引付衆、評定衆、連署、承久、六波羅探題、御成敗式目、北条泰時、北条時頼、北条時政、北条義時、

教科書の内容を文章や表でわかりやすくまとめた問題集です。

リンク「時代と流れで覚える! 日本史B用語」 鎌倉時代の社会・経済についての解答

ポイントの整理 ・武士は(開発領主)の系譜を引き継ぎ、平野の微高地に(館)を構えた。 ・武士は血縁的統制のもと一門として結集し、宗家のリーダー(惣領)が戦時に指揮官となってまとめ、平時は(年貢)の納入や庶子への負担の割り当て、祖先の祭祀も務めた。これを(惣領制)という。 ・幕府の政治・軍事体制も(惣領制)を基本としていた。 ・所領の相続は(分割相続)が原則で、女性も相続ができた。 ・武士の道徳は、(弓馬の道)と呼ばれ、流鏑馬・笠懸・犬追物など訓練に励み質素な生活で、主人に対する献身など、後世の武士道につながった。 ・(承久の乱)後、東国出身の武士が西日本に所領を持つと荘園領主との紛争が増えた結果、領主たちは武士に土地の管理を任せる(地頭預所)や、所領を折半して相互の支配権を認める(下地中分)が増え、地頭の支配権が拡大した。

・蒙古襲来の前後から、西日本で裏作に麦を育てる(二毛作)が普及し、多収穫米の大唐米も輸入され、肥料に刈敷・(草木灰)を用い、耕作に(牛馬)を用いるようになった。 ・荘園・公領などの交通の要地や寺社の門前で(定期市)が開かれ、月に三度の(三斎市)も多く、米や特産物の売買が行われ、京都・鎌倉など中心地では常設の店舗である(見世棚)が出現した。 ・手工業者や商人は(座)という組合を作り、寺社や天皇の庇護をうけた。 ・商品の流通には、陸上には宿という要地があり、海上輸送を専門とする(問)が発達した。 ・売買には現物に代わって(宋銭)が利用され、遠隔地の取引には(為替)が使われ、(借上)など高利貸し業もあった。

弓馬の道、城、館、惣領、年貢、下地中分、地頭請所、分割相続、惣領制、承久の乱、治承・寿永の乱、牛馬、二毛作、座、問、酒屋、借上、定期市、見世棚(みせだな)、三斎市、宋銭、為替、草木灰、馬借、株仲間、

確認問題 問1、分割相続 問2、牛馬、草木灰、 問3、座 問4、為替

教科書レベルの問題演習におすすめの問題集です。

リンク「実力をつける日本史100題」 蒙古襲来の解答

ポイントの整理 ・元はモンゴル帝国の五代目(フビライ=ハン)が国名を改め、都を(大都)に置いた。チベットや高麗を属国に組み込み、日本や東南アジアにも朝貢を求めた。 ・1274年(文永の役)では苦戦を強いられたので、幕府は執権(北条時宗)のとき、警護を補強するため(異国警固番役)を強化し、博多湾沿いに(防塁)を構築させた。 ・元は(南宋)を滅ぼした後、1281年(弘安の役)で14万の大軍で押し寄せたが、暴風雨で失敗した。 ・北条氏一門が九州の政務・裁判・御家人の統制をした機関を(鎮西探題)という。 ・(得宗)とは北条氏嫡流を差し、その家臣である(①御内人)が幕府のほとんどの権力をにぎり、御家人と対立した。1285年(霜月騒動)では御家人の安達泰盛が①に滅ぼされた。その後の政治体制を(得宗専制政治)という。 ・元寇の後、御家人への(恩賞)が不十分だったこともあり、幕府に不満を抱える御家人が増え、政治が揺らぎ始めた。 ・(分割相続)を繰り返した結果、窮乏する御家人が増え、所領の相続を一代限りにする(一期分)が増えた。幕府は(永仁の徳政令)を出し、所領の質入れ売買の禁止、御家人への無償返還を命じたが、効果は一時的だった。 ・近畿地方では年貢の納入を拒否し、荘園領主に反抗する(悪党)が出現した。

・琉球では(貝塚文化)を経て、12世紀ごろから農耕生活が始まり、首長の(按司)のもと、(グスク)を築きはじめた。 ・北海道では続縄文文化の後、独自の文化である(擦文文化)と(オホーツク文化)が展開した。13世紀には(アイヌ)文化が生まれ、津軽の(十三湊)で安藤氏と交流を始めていた。

グスク、按司、擦文文化、貝塚文化、オホーツク文化、フビライ=ハン、チャガタイ=ハン、防塁、鎮西探題、異国警固番役、十三湊(とさみなと)、得宗専制政治、御内人(みうちびと)、永仁の徳政令、弘安の役、霜月騒動、得宗、南宋、高麗、大都(北京)、悪党、一期分(いちごぶん)、文永の役、分割相続、北条時宗、北条貞時、

 

鎌倉仏教の解答

ポイントの整理 ・浄土宗を開いた(法然)は(専修念仏)を説き、公家・武士・庶民に支持されるも、旧仏教から非難を受け、迫害される。著書に「選択本願念仏集」があり、中心寺院は(知恩院)である。 ・浄土真宗を開いた(親鸞)は、師の教えを発展させ(悪人正機)を説き、武士や農民に支持される。著書に「教行信証」と弟子の唯円(歎異抄)があり、中心寺院は(本願寺)である。 ・時宗の(一遍)は(踊念仏)を広め、地方の武士や民衆に広まった。布教の様子を描いた(一遍上人絵伝)が有名で、中心寺院は(清浄光寺)である。 ・日蓮宗は(法華経)を釈迦の正しい教えとし、(題目)を唱えるだけで救済されると説き、幕府から迫害を受けるが、関東の武士や商工業者に広まる。中心寺院は(久遠寺)である。 ・宋から禅宗が伝わり、栄西は(臨済宗)を開き、釈迦の境地に近づく修行に(公案問答)を主眼とし、幕府から支持される。著書に「興禅護国論」、中心寺院は(建仁寺)。 ・同じく禅宗の道元は(曹洞宗)を開き、(只管打座)を説き、広く武士や庶民に門戸を開いた。著書に「正法眼蔵」、中心寺院は(永平寺)。 ・旧仏教で戒律の再興を務めたのに(貞慶)・(明恵)がおり、(忍性) は病人救済のため北山十八間戸を建てた。 ・伊勢外宮の神官である(渡会家行)は、(伊勢神道)で神本仏迹説を説いた。

貞慶(じょうけい)、明恵(みょうえ)、渡会家行(わたらいいえゆき)、一遍上人絵伝、専修念仏(せんじゅねんぶつ)、知恩院(ちおんいん)、久遠寺(くおんじ)、親鸞(しんらん)、悪人正機(あくにんしょうき)、歎異抄(たんにしょう)、本願寺(ほんがんじ)、一遍(いっぺん)、北山十八間戸、臨済宗、曹洞宗(そうとうしゅう)、題目、踊念仏、法華経、清浄光寺(しょうじょうこうじ)、永平寺、建仁寺(けんにんじ)、只管打座(しかんだざ)、忍性(にんしょう)、公案問答(こうあんもんどう)、伊勢神道、

確認問題 問1、鎌倉新仏教について、次の表を完成させてください。

宗派開祖教義中心寺院念仏浄土宗法然専修念仏を説く 著書『選択本願念仏集』知恩院浄土真宗親鸞悪人正機を説く(唯円『歎異抄』)本願寺時宗一遍踊念仏を広める 「一遍上人絵伝 」(絵巻物)清浄光寺題目日蓮宗日蓮題目を唱えるだけ救われると説く 著書『立正安国論』久遠寺禅宗臨済宗栄西著書『喫茶養生記』(茶の風習) 幕府が保護 北条時頼は(蘭渓道隆):建長寺 北条時宗は(無学祖元):円覚寺建仁寺曹洞宗道元只管打座(ひたすら坐禅を行う)を唱える 著書『正法眼蔵』永平寺建仁寺、久遠寺、知恩院、永平寺、一遍、親鸞、日蓮、道元、法然、栄西、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)、無学祖元(むがくそげん)、禅宗、念仏、一遍上人絵伝、

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ポイントの整理 ・文学 ・随筆では、鴨長明の(方丈記)や兼好法師の(徒然草)において世の無常が説かれた。 ・和歌では、後鳥羽上皇の命により藤原定家らが(新古今和歌集)を編纂し、武士出身の(西行)が『山家集』を残し、三代将軍(源実朝)も『金槐和歌集』を残した。 ・学問は、公家の間で朝廷の儀式や先例を研究する(有職故実)が盛んになり、幕府も執権政治のもと編年体の歴史書(吾妻鏡)を編纂し、北条氏一門の金沢実時らが和漢の書物を集め(金沢文庫)を設けた。 ・承久の乱の直前に、慈円が(愚管抄)を表し、道理による歴史解釈を試みた。 ・軍記物語のなかでも、平氏の興亡を描いた(平家物語)が(琵琶法師)によって語られた。 ・紀行文では阿仏尼の(十六夜日記)、説話集では橘成季の(古今著聞集)、無住の(沙石集)がある。

・建築 ・治承・寿永の乱で焼失した東大寺は、重源が寄付を集め、宋人の陳和卿により再建した。この時の建築様式を(大仏様)といい、(① 東大寺南大門)が代表例である。 ・禅宗が発達したことに伴い、(禅宗様)が伝わり、(円覚寺舎利殿)が代表例である。 ・彫刻 ・彫刻では奈良仏師の(運慶)・(快慶)が活躍し、①の(金剛力士像)が代表作である。浄土教を広めた( 空也像)が六波羅蜜寺に所蔵されている。

・絵画 ・絵画では(菅原道真)の生涯を描いた「北野天神縁起絵巻」、などの絵巻物がある。 ・大和絵の手法を用いて、(似絵)という肖像画や、(頂相)という禅僧の肖像画も描かれた。

源実朝、沙石集、愚管抄、西行、頂相(ちんぞう)、十六夜日記(いざよいにっき)、古今著聞集、金沢文庫、有職故実、吾妻鏡、琵琶法師、新古今和歌集、徒然草、方丈記、大仏様、折衷様、金剛力士像、似絵、高徳院阿弥陀如来坐像(鎌倉の大仏)、法然像、空也像、東大寺南大門、円覚寺舎利殿、平家物語、禅宗様、菅原道真、快慶、運慶、

 

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