「延命治療拒否」母"最期の3日間"が笑顔だった訳
「延命治療拒否」母"最期の3日間"が笑顔だった訳

「延命治療拒否」母"最期の3日間"が笑顔だった訳

「延命治療拒否」母"最期の3日間"が笑顔だった訳

2026/02/09 07:30

老いや病気に体をむしばまれても、人が死を迎えるときの「一番幸せな形」とは何か? これまでに2000人以上を看取った在宅緩和ケア医の萬田緑平氏の患者は、治療をやめて最期まで自宅で自分らしく生きることを選んだ人たち。やがて迎える看取りは、涙にくれる悲劇ではなく、「ありがとう」という感謝の言葉がふさわしいハッピーエンドだと言

老いや病気に体をむしばまれても、人が死を迎えるときの「一番幸せな形」とは何か?

これまでに2000人以上を看取った在宅緩和ケア医の萬田緑平氏の患者は、治療をやめて最期まで自宅で自分らしく生きることを選んだ人たち。やがて迎える看取りは、涙にくれる悲劇ではなく、「ありがとう」という感謝の言葉がふさわしいハッピーエンドだと言います。 

いかにして治療を離れる不安や心の痛みを払拭し、痛みをコントロールしながら死へと向かう体の変化を受け入れて、幸せに亡くなっていったのか。

「延命治療」を拒否し、8年来、がんを患いながら生きてきた丸山節子さん(享年75歳)の「最期の1カ月間」を、萬田氏が振り返ります。本稿は、萬田氏の新刊『自宅で迎える本当に幸せな最期のとき』より一部抜粋で紹介します。

(全4回の3回目/最初から読む

自宅で過ごす「最後の3日間」

節子さんの呼吸状態は日を追って悪化していく。酸素の量を1日ごとに増やしてとうとう5Lになった。それでもトイレには一人で歩いていく。全精力を使ってトイレに行き、ベッドに戻ると眠ってしまう。それを繰り返していた。

靖人さん夫婦も僕たちも「本当は家にいたいの」と言ってもらいたいのだが、節子さんからは「入院したいです」「入院することになっていますから」という言葉しか出てこなくなってしまった。

「もう決めたの。今さら何がどうということでもないし、入院することがすべて和解につながるの。孫たちにもそれぞれに言葉を残してあげた。尚子さんにも『すてきな息子を残してくれてありがとう』と言われたの。本当に嬉しかったわ」

節子さんは、入院するとはっきり言うようになった。その決断が看護師からカンファレンスで報告され、もう入院の話はよそうということになった。

「本当に入院希望なのですか?」と毎回看護師に聞かれて、意固地にさせているとしたらそれもよくない。

尚子さんが緩和ケア病棟に面談に行き、週が明けた月曜日の入院許可をもらってくる。節子さんが自宅で過ごすのは、あと3日間となった。

「最後はお義母さんが望むところで過ごしてもらいたいと思います。お義母さんの意思を尊重、優先してあげたい」

尚子さんと節子さんは、そんな会話を交わしていた。

危篤という雰囲気は、まるで感じられない

土曜日の明け方、尚子さんから、節子さんが苦しがっていると京田看護師に緊急の要請があった。節子さんは呼吸状態がさらに低下。発熱して意識障害も出ていた。

「トイレはもう行けないと思います。会話もやっとできるかどうかでしょう。土日で会わせたい人には声をかけておいたほうがよさそうな状態です」

京田看護師は実家に泊まり込んでいる靖人さん夫婦に『看取りのパンフレット』を渡して、これから節子さんに起こる体の変化を説明した。

このパンフレッ卜は亡くなる1週間前くらいから呼吸が止まるまでの体の変化を図やイラスト入りでわかりやすく説明している。常時看護師が携帯しており、タイミングを見て看護師の判断で家族に渡される。

昼間の訪問時では利尿剤の注射をした効果か、肺にたまった水分や体内の余剰水分が排出されて呼吸状態が落ち着き、節子さんは少し持ち直した。

聖歌隊の先生が会いに来てくれるというので、「きれいにして会いたい」と言って長沢看護師介助で入浴を希望し、うとうとしながらもむくみで重くなった体を精いっぱい動かして、入浴した。

入院の話はもう本人に聞かない。入院当日の朝、本人の希望があったら入院させようということになっていた。

節子さんに会いたい人が集まって、家の中はにぎやかだ。危篤という雰囲気はまるで感じられない。

節子さんは次男に体を支えられてベッドに腰掛けていた。簡単な挨拶は交わせるが、すでにうとうとして意識が混濁(こんだく)している傾眠状態なので、会話は成立しない。

「群馬のおばあちゃん、大好き!」なんて言いながら、孫たちがにこにこと手をさすっている。

家族はみんな笑顔だった

日曜日。朝から節子さんの意識がなくなり、午後10時半に家族から「息を引き取りました」と電話があった。往診に行くと、靖人さんが玄関の外で出迎えてくれた。

「お世話になりました。いい顔しているから、見てやってください」

家族はみんな笑顔だった。涙で潤んだ目がにこやかに笑っている。入院問題を巡って家族間では葛藤や気持ちのすれ違いもあったが、節子さんは会いたい人たちに会い、入浴も済ませてから入院の前日に自宅で亡くなった。

これが彼女の本音の希望だったのではないか。そして家族をハッピーエンドの看取りに導いたのも、節子さん本人だったのではないか。

ケアマネージャーの内堀さんの話によると、節子さんは尚子さんから感謝の言葉を述べられたことをとても喜んでいたという。

「いい息子さんを生んでくれて、私にくださってありがとうございました」

そう言われて母親としての自分が感謝されたことに新鮮な喜びを感じ、靖人さんを出産してかわいがってきた思い出がよみがえってきて、自分と家族の今までの思い出を振り返ることができたそうだ。

「びっくりしたけれど、もう本当にすごく嬉しかったの」

節子さんは内堀さんに、今まで会った中で一番穏やかで、少し照れたような本当にかわいらしい笑顔を見せてそう語った。そして「楽になった気がする」とも言ったそうだ。

“穏やかな看取り”のカギを握るのは「家族力」

僕は、自分のベッドで最後の眠りについた節子さんに「ご苦労さまでした」と声をかけた。

それから、体を拭いて清めるためにお湯とタオルをお願いする。

「おい! お湯を汲んでこい!」

靖人さんが息子の龍平君に指示する。

「これでいい!?」

龍平君が持ってきたのは、なんと深さが50㎝はありそうなステンレスのピカピカの寸胴鍋! お清めの場で洗面器以外のものを見たのは初めてだ。

聞けば、節子さんがせっせとジャム作りに精を出した鍋だとか。

龍平君のチョイスにあきれながらも靖人さんは、

「まっ、いいっかっ! どうせもうおばあちゃんが使うことはないんだし……。これで体拭いてもらうのも案外嬉しいかもね」

楽しそうに言って、ジャム鍋のお湯にタオルを浸したのだった。

この明るさが丸山ファミリーの持ち味だと改めて実感したのは、節子さんの葬式で述べた靖人さんの挨拶文を読ませてもらったときだった。

節子さんが家族と過ごした1カ月あまりの日々を愛情とユーモアたっぷりに紹介している。

穏やかな看取りのカギを握るのは家族力だということを、葬儀に参列して靖人さんのこの挨拶を聞いた人たちは感じ取ってくれたと思う。

次記事で、その笑いと涙の弔辞を紹介したい。→→【「父と母、最後の10分間」 延命治療を拒否した母がいよいよ…"ずっと頑固だった父"に言わせた「愛してる」の奇跡

著者:萬田 緑平

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