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先日、自民党総裁選での活躍が注目された高市早苗氏。奈良出身であることや、「高市(たかいち)」という姓から、古代の皇族や豪族の血筋と繋がっているのではないか、と噂されています。この記事では高市早苗氏ルーツを古代史と絡めて考察していきます。
- 高市早苗氏のルーツは天武天皇の皇子 高市皇子(たけちのみこ)か?
- 高市早苗氏のルーツは奈良の地名「高市郡」と出雲系豪族か?
- 伊予(愛媛)に繋がる高市氏
高市早苗氏のルーツは天武天皇の皇子 高市皇子(たけちのみこ)か?
高市氏のルーツとしてまず挙げられるのが、飛鳥時代後期に活躍した高市皇子(たけちのみこ)です。
高市皇子(たけちのみこ)は、天武天皇の第一皇子です。
高市皇子(たけちのみこ)は18歳という若さで壬申の乱(じんしんのらん)に参戦し、美濃の不破関(ふわのせき)で軍事の全権を委ねられるなど、父である天武天皇の軍勢の中核として活躍しました。
高市皇子(たけちのみこ)は 長男でしたが、母親の身分(宗像氏)の関係で、当初は皇位継承のトップではありませんでした。両親が共に皇族(天皇の血筋)である人物が優先して皇位継承されるためです。
高市皇子(たけちのみこ)自身が天皇に即位することはできなかったものの、天武天皇の没後は、持統天皇の政権下で太政大臣を務めるなど重要な役割を果たします。
皇位継承候補であった持統天皇の皇子である草壁皇子が若くして亡くなると、時期天皇候補としても有力視されていた可能性がありますが、696年に突然亡くなります。この突然の死は、持統天皇が自分の子供の系統に皇位を継がせたかったため…という説もあります。
結果的に、草壁皇子の子の軽皇子が文武天皇として即位することになります。
高市早苗氏のルーツは奈良の地名「高市郡」と出雲系豪族か? Wikipediaより
高市早苗氏の出身地である奈良県には「高市郡(たかいちぐん)」という地名とがあります。かつてこの地域を治めていた「高市氏(たかいちし)」が高市早苗氏のルーツなのではないでしょうか。
高市氏は、天照大神とスサノオの誓約(うけい)から生まれた天津日子根命(あまつひこねのみこと)の子孫とされており、すなわち「天孫系」の氏族です。
壬申の乱の際、高市氏の高市許梅(たけちのこめ)高市の社の事代主(ことしろぬし)が神がかり、その信託によって天武天皇の軍勢が勝利に向かったという逸話があります。
このことから、高市の土地は元々、出雲系に由来する豪族(鴨氏など)が住み、祭祀していた場所ではないかと考えられます。
伊予(愛媛)に繋がる高市氏
さらに、もう一つの有力なルーツとして、愛媛県(伊予)があります。高市早苗氏の出身地は奈良県ですがご両親は愛媛県出身とされています。
敏達天皇の末裔である美努王(みのおう)の妻であった県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)がいます。
県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)は後に美努王(みのおう)と離縁した後、藤原不比等の妻になっています。
後に県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)は「橘」氏の姓を与えられますが、その橘氏の系譜を継ぐ一族(新居氏)が伊予の新居(にい)を拠点とし、物部氏系の越智氏と交わり、その一族から派生した中に高市氏がいます。
この美努王と、県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)は、どちらも壬申の乱の時に天武天皇(大海人皇子)側について活躍しています。
高市氏のルーツを辿った結果、皇族、出雲、伊予の豪族など一見バラバラな繋がりが見えます。しかし、不思議なことに、そのルーツを構成する重要な人物たちは、すべて壬申の乱(672年)において天武天皇側に味方し、その勝利に貢献しているという共通点がありました。
このように、日本の古い歴史を持つ氏族のルーツは、現代の政治家にまで見えない形で脈々と受け継がれているのかもしれません。
まとめ
高市早苗氏のルーツは以下の可能性がある
・天武天皇の皇子の高市皇子か
・出雲系鴨氏が治めた奈良県の高市郡の豪族か
・愛媛県新居の豪族か