生命を完全に破壊する光線…「わずか0.001グラムの物質」から生まれた恐怖
人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者(@keiyou30)が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。
Photo: Adobe Stock東海村の原子力事故
一九九九年九月三十日、千葉市にある放射線医学総合研究所に、三人の作業員がヘリコプターで救急搬送された。彼らは急性放射線障害で重篤な状態にあった。
原因は、茨城県那珂郡東海村にあるジェー・シー・オー(JCO)社の核燃料加工施設で発生した原子力事故であった。
もっとも重症だった作業員の一人は、事故の際、至近距離で凄まじい量の放射線(中性子線)を浴びた。彼の体を突き抜けた多量の放射線は、全身の細胞核内にあるDNAをバラバラに破壊した。
その瞬間、ありとあらゆる細胞が分裂能力を失った。生命の設計図が失われたのだ。事故翌日、東京大学医学部附属病院の集中治療室に移ったときは、むしろ拍子抜けするほど症状は軽かった。全身に軽い日焼けをした程度で、水ぶくれの一つもなく、意識もはっきりしていた(1・2)。
壮絶な変化
だが、その後の体に起こった変化は壮絶だった。
放射線は細胞分裂が盛んな部位に多大な影響を及ぼす。血球をつくる力は完全に失われ、破壊された免疫システムは再起不能に陥った。血球のもととなる造血幹細胞を移植する治療、造血幹細胞移植が行われ、無菌室で治療が続けられた。
ひとたび古い皮膚が剥がれ落ちると、それ以後は全く再生が起こらない。体の表面から大量の水分と血液が失われていく。消化管の表面を覆う粘膜が失われて再生せず、膨大な量の下痢と出血が続く。
毎日一〇リットルもの点滴で水分を補充しても追いつかず、とてつもない速度で体から液体成分が失われた。国内では初めての、世界的にもほとんど例のない重大な被曝事故であった。
見たこともない様子で劣化し、生きる力を失っていく体に、医療スタッフらは懸命に立ち向かった。だが事故から八十三日後、彼は多臓器不全で亡くなった。
三十五歳、妻と小学三年生の息子がいる健康な男性だった。医学の限界というほかなかった。
のちにJCOの作業工程における杜撰な安全管理が問題視され、所長を含む六人に対し業務上過失致死などの罪で有罪が確定した。この事故で反応を起こしたウランは、わずか〇・〇〇一グラムであった(2)。
放射線という目に見えない脅威に、人体はあまりにも脆い存在だ。正しい知識と、それに基づく適切な管理なくして身を守ることは決してできない。
放射線に無知だった人類
放射線の存在を初めて知ったのは、ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンである。
一八九五年、高電圧の真空管を用いて実験を行っていた彼は、偶然にも奇妙な光線を発見する。真空管から放たれたその光線は、真空管を覆う黒い厚紙を透過し、スクリーンをかすかに照らしていた。
彼がこの光線に手をかざしたとき、驚くべきことが起きた。スクリーンには、自分の手の骨が映し出されたのだ。体内を覗き見る技術が初めて生まれた瞬間だった。
彼が「X線」と名づけた新種の光線は、瞬く間に世界中に広まった。
X線を使った検査は「レントゲン」と呼ばれるようになり、人体に対する安全な利用法が確立した。造影X線検査やCTなど、X線を利用した検査は医療現場に不可欠なものとなり、病気の診断というプロセスを根底から変えた。
ノーベル物理学賞
一九〇一年、レントゲンはノーベル物理学賞を受賞する。レントゲンによる歴史的な発見の翌年、今度は同様の光線が自然界に存在するという驚くべき事実が明らかになった。
フランスの物理学者アンリ・ベクレルは、ウラン鉱石と一緒に置いていた写真乾板が自然に感光することに気づいた。レントゲンの論文にヒントを得ていたベクレルは、これがウランから発せられた放射線によるものだと確信する。
ウランは十八世紀に鉱山から発見された元素で、同時期に発見された惑星、天王星(Uranus、ウラヌス)が由来だ。
だが、これが放射性元素であることを発見したのは、ベクレルが初めてだった。現在、放射能の量を表す単位として使われる「ベクレル」は彼の名前に由来する。
あまりにも危険な「ラジウム」ブーム
さらに一八九八年、ポーランド出身の物理学者マリ・キュリーは、その夫ピエール・キュリーとともに、自然界に存在する新たな放射性元素を発見する。
今のチェコ共和国西部にあるヨアヒムスタール鉱山の鉱石から、彼らが苦労の末に抽出したのは、ポロニウムとラジウムであった。
ポロニウムはマリ・キュリーの母国ポーランドから、ラジウムはラテン語の「光線(radius)」にちなんで名づけられた。また彼女は、放射線を出す能力のことを「放射能(radioactivity)」と名づけた。
科学における全く新たな一分野を切り開いたベクレルとキュリー夫妻の三人は、一九〇三年、ノーベル物理学賞を受賞する。だが当時、放射線が持つ人体への危険性は、まだはっきりとはわかっていなかった。
むしろきれいに光り輝くラジウムは、さまざまな人気商品を生み出した。一九二〇年代には、ラジウム入りの石鹸、美容クリーム、歯磨き粉などが発売され、ラジウム入りの飲料は健康に良いと宣伝された。
細胞の無秩序な増殖
中でも世界的に有名な大問題を引き起こしたのが、アメリカ、ニュージャージー州にあった米国ラジウム社だ。
一九一七年、同社はラジウムを利用した夜光塗料を開発し、これを時計や計器の文字盤に使った。特に戦争中の夜間戦では、自然に発光するラジウムは圧倒的に便利だった。この時期、アメリカでは軍用に四〇〇万個以上の夜光時計がつくられた(3)。
この塗料を塗る作業は、若い女性工員たちが担当した。繊細な作業であるだけに、女性たちは何度も筆を舐めて穂先を整えた。これが彼女らの体を蝕んだ。繰り返す被曝によって、放射線障害が生じたのだ。顎の骨が壊死し、舌や首、顎に腫瘍ができた。
骨髄が障害され、慢性的な貧血や白血病などさまざまな病気を発症し、多くの人が亡くなった(4)。
放射線によってDNAが損傷されると、細胞は修復機構によってこれを修復する。
修復が不可能な場合は自死(アポトーシス)を起こすが、修復がうまくいかないまま生き残ってしまうと、時にがん化して無秩序に増殖する。放射線によって起こる、数ある障害の一つである。
【参考文献】 (1)Yahoo!ニュース(二〇一九年三月十二日)「20年前の「想定外」 東海村JCO臨界事故の教訓は生かされたのか」 https://news.yahoo.co.jp/feature/1259/ (2)『朽ちていった命 被曝治療83日間の記録』(NHK「東海村臨界事故」取材班著、新潮文庫、二〇〇六) (3)Timepiece Bank「The Introduction of Radium into the World of Watches」 https://www.timepiecebank.com/en/blog/the-introduction-of-radium-into-the-world-of-watches (4)CNN style「Radium Girls: The dark times of luminous watches」 https://edition.cnn.com/style/article/radium-girls-radioactive-paint/index.html
(本原稿は、山本健人著『すばらしい医学』を抜粋、編集したものです)
山本健人(やまもと・たけひと)2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)。外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に18万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)、新刊に『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)ほか多数。 Twitterアカウント https://twitter.com/keiyou30 公式サイト https://keiyouwhite.com
深く広大な知識の海へ――著者より私は外科医として、毎日のように手術に携わり、生きた臓器に触れている。
お腹をメスで切り開くと、そこには自然界が生み出した美しく複雑な構造物が横たわっている。臓器の様子は、人によって全く違う。黄色い内臓脂肪が分厚く臓器を覆っている人もいれば、内臓脂肪が白っぽくて薄い人もいる。胃が大きく足側に伸びている人もいれば、上方にとどまる人もいる。大腸が蛇のようにお腹の中にとぐろを巻いている人もいれば、比較的短くストレートな人もいる。
一見すると不思議に思えるが、考えてみれば当たり前のことだ。人によって、背丈や顔のつくり、性格は全く違う。それと同様に、臓器の様子にも個人差があるのだ。
医学はこれまで長い年月をかけて、臓器一つ一つの構造と機能を明らかにしてきた。それぞれの臓器が、なぜそのような形態であり、なぜそのような働きを持つのか。
医学が解明してきた謎について知ると、自然界が生み出した人体という精緻な構造物に、誰もが畏敬の念を抱くはずだ。
私は、医師として日々人体に触れ、その美しさを実感している。一方で私は、日々の手術を行う中で、現代医療の凄まじい進歩をも、この手で体感している。
私たちは今や、痛みを感じることなく手術を受け、短期間で元の生活に戻ることができる。かつての人たちが想像すらしなかった未来を、私たちは生きているのだ。医学がこれまで何を達成し、どのような治療を生み出してきたのか。この途方もない医学の進歩を知れば、誰もが驚嘆するはずだ。
医学を学び、自らの体について知ることは、途方もなく楽しい営みだ。 私が医学生の頃から約二十年間、絶えず味わってきた知的好奇心を満たす喜びを、多くの人に伝えたい。本書はそんな思いで執筆した。
本書で語る一つ一つのエピソードは、誰もがよく知る身近な話題から始まるが、奥に続く知識の海は深く広大だ。本書を読めば、「医学」という学問を、まるで高台から俯瞰するような心地良さを味わえるだろう。
それでは、いよいよ出発だ。すばらしい医学の世界へ。
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