機密資料から見た戦争…敵国の諜報員が分析していた「日本人への評価」とは
2021.01.30- #戦争
恐るべき諜報能力と正確な分析力
神立 尚紀
カメラマン・ノンフィクション作家
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太平洋戦争で日本が戦った相手国は、アメリカ、イギリス、中華民国、オランダのいわゆる「ABCD包囲網」だけではない。こんにち、あまり語られることはないが、ニュージーランド軍もまた、南太平洋で日本陸海軍と死闘を繰り広げていた。当時の機密資料から読み解く、ニュージーランド軍から見た日本軍と日本人とは――。
ニュージーランド軍が訓練用に編纂した機密資料
筆者の手元に、「KNOW YOUR ENEMY AIRCRAFT」(汝の敵機を知れ)と題する、縦12.5センチ、横18.5センチ、全52ページの小冊子がある。
第二次世界大戦中の1944年8月、ニュージーランド空軍が飛行機搭乗員の訓練用に編纂した機密資料で、なかには、日本陸海軍機の詳細なデータから、日本の搭乗員の長所と短所などが網羅されている。
ニュージーランド空軍が編纂した「KNOW YOUR ENEMY AIACRAFT」(1944年8月)の表紙第二次世界大戦中、日本が戦った相手国として真っ先に思い浮かぶのは、アメリカ、イギリス、中華民国、オランダのいわゆる「ABCD包囲網」、そして、オーストラリア、末期のソ連。……だが、英連邦の自治領であったニュージーランド軍も、主に南太平洋で日本軍と死闘を繰り広げていたのだ。
この冊子を筆者に託してくれたのは、海軍飛行専修予備学生13期(東京高等師範学校卒)を経て零戦搭乗員(神風特攻筑波隊・大尉)となった故・木名瀬信也さん(1919-2015)である。
元零戦搭乗員・木名瀬信也氏。戦後、大学の英語教授となり、日本とニュージーランドの親善に尽くした木名瀬さんは戦後、文部省嘱託として新制中学校の英語教科書を執筆、曲折を経て女子大の英語教授となり、そこで縁のできたニュージーランドの人々や風物に惚れ込んだことから、毎年、学生を引率して現地に渡り、英語の実地教育をするとともに、日本とニュージーランドの親善に尽くした。
「旧敵国なのに、ニュージーランドの人たちはほんとうによくしてくれる。日本人は忘れがちだけども、この国とも戦火を交えた不幸な歴史があったことを忘れちゃいけない」
と、木名瀬さんはしばしば口にしていた。筆者も、かつてパプアニューギニアのポートモレスビーやラバウルの戦没者墓地を訪ねた際、多くのニュージーランド人の墓碑が並んでいるのを見て、木名瀬さんの言葉を反芻したことがある。
パプアニューギニアの首都・ポートモレスビーの英連邦軍戦没者墓地。多くのニュージーランド将兵もここに眠る(撮影/神立尚紀)第二次世界大戦におけるニュージーランド軍の戦死者は10033名、行方不明2129名、重軽傷19314名という。
-AD-日本の脅威に備え、大幅に軍備を増強
1939年、ヨーロッパで第二次世界大戦の火ぶたが切られたとき、ニュージーランドにはわずかな軍備しかなかった。空軍(RNZAF=Royal New Zealand Air Force)はたった756名の小さな組織で、別に英空軍(RAF=Royal Air Force)に420名が所属するのみだった。
それが、ドイツとの戦いで窮地に立ったイギリスを支援するため、志願者の大規模な募集を行う。入隊した者のうち、航空機パイロットに選ばれた者は、カナダで操縦訓練を受け、ヨーロッパや北アフリカで英空軍に編入されて実戦に参加した。その数、7002名と記録されている。
1941年12月8日、日本陸軍のマレー半島コタバル上陸、海軍の真珠湾攻撃を皮切りに太平洋戦争が始まると、ニュージーランドは太平洋での日本軍の脅威にも備えなければならなくなった。
開戦時、RNZAFは約400名が、マレー半島やビルマ(現・ミャンマー)でアメリカ製の旧式戦闘機・ブリュースターF2Aバッファローなどを駆って英空軍とともに戦ったが、あっという間に壊滅。ニュージーランド本国でも、旧式機や民間機を駆り集めて航空部隊を組織するも、保有する軍用機らしい軍用機はアメリカ製双発爆撃機ロッキード・ハドソンぐらいで、日本海軍の潜水艦から発進した、軽飛行機のような水上偵察機さえ邀撃することができなかった。
ニュージーランド空軍が初期に導入したロッキード・ハドソン(上)と、英連邦軍の一員として使用したブリュースターF2Aバッファロー(下) -AD-1942年2月19日、オーストラリア北部の都市・ダーウィンが日本海軍機動部隊の艦上機による空襲を受け、甚大な被害を被ったことは、ニュージーランドにとっても対岸の火事として見過ごすことのできない、差し迫った危機であった。
そこでニュージーランドは、アメリカとレンドリース(武器貸与)契約を結び、シンガポール陥落(1942年2月)とともに帰国したパイロットたちを核に、急遽、カーチスP-40戦闘機の飛行隊を編成する。
日米が激戦を繰り広げていたソロモン諸島ガダルカナル島に、最初のRNZAF飛行隊が派遣されたのは、1942年11月23日のことである。ロッキード・ハドソン6機で編成されたこの部隊は、米軍と協同して、ソロモン海の哨戒、偵察、日本軍の輸送船団攻撃、飛行場爆撃などに従事した。最初の1週間で、日本の艦船発見4回、日本機発見3回というめざましい活躍を見せ、うち2回は戦闘機の攻撃を受けたと記録されている。
アメリカの援助で、RNZAFは新たにダグラスSBDドーントレス急降下爆撃機、グラマンTBFアベンジャー攻撃機、コンソリデーテッドPBYカタリナ飛行艇なども導入し、1943年にはソロモン諸島各地に散在する日本軍基地や、一大拠点・ニューブリテン島ラバウルへの攻撃を本格化させる。
1944年2月、ソロモン、ラバウルの日本軍航空兵力が事実上消滅し、米軍がいわゆる「飛び石作戦」で太平洋を北上、マリアナ諸島やフィリピン、沖縄への侵攻を始めたのちも、RNZAFはラバウルやブーゲンビル島の日本軍への爆撃を繰り返し、連合軍の最前線確保に貢献した。その間、主力戦闘機だったP-40はボートシコルスキー(チャンスボート)F4Uコルセアに機種を更新している。
ニュージーランド空軍のF4Uコルセア1944年にはRNZAFの人員は42000人に達し、飛行機は1000機以上、コルセアの13個飛行隊を主力に34の飛行隊(うち25個飛行隊は前線で日本軍と戦う)を擁していた。
1944年、ガダルカナル島の南岸上空を飛ぶニュージーランド空軍のF4Uコルセアの編隊1945年、日本との戦争が終わると、コルセアの一個飛行隊が英連邦軍の一員として岩国基地に進駐している。しかし、終戦とともにニュージーランドは早々に軍備縮小を始め、ピーク時に45000名いた人員を、1946年には5300名にまで削減した。
今回、紹介する「KNOW YOUR ENEMY AIRCRAFT」は、そんなRNZAFが、南太平洋の最前線維持のため出撃を重ねていた頃に作成された。
表紙に「NOT TO BE TAKEN INTO THE AIR」(空中への持ち出しを禁ず)とあるのは、万一、撃墜されたり不時着したりして、この冊子が日本側に渡るのを防ぐための注意である。冊子を開くと、新鋭機もふくむ日本の軍用機の性能が驚くほど詳細に記されていて、これほどのことを連合軍がどのように知り得たのか、情報戦の一端を垣間見ることができるからだろう。
「すぐに燃える」と、身も蓋もない評価も
ここで取り上げられている日本機は全部で25機種。
海軍機は、零式艦上戦闘機(零戦、コードネーム「ZEKE」)、零戦三二型(HAMP)、九七式艦上攻撃機(KATE)、九九式艦上爆撃機(VAL)、一式陸上攻撃機(BETTY)、九六式陸上攻撃機(NELL)、零式観測機(PETE)、零式水上偵察機(JAKE)、二式飛行艇(EMILY)、九七式飛行艇(MAVIS)、「天山」艦攻(JILL)、「彗星」艦爆(JUDY)、夜間戦闘機「月光」(IRVING)、陸上爆撃機「銀河」(FRANCES)、九九式飛行艇(CHERRY)、大型陸上攻撃機「深山」(LIZ)の16機種。
陸軍機は一式戦闘機「隼」(OSCAR)、二式戦闘機「鐘馗」(TOJO)、三式戦闘機「飛燕」(TONY)、一〇〇式司令部偵察機(DINAH)、二式複座戦闘機「屠龍」(NICK)、九九式双発軽爆撃機(LILY)、九七式重爆撃機(SALLY)、一〇〇式重爆撃機「呑龍」(HELEN)、一〇〇式輸送機(TOPSY)の9機種。
――およそ太平洋上で遭遇しそうな日本機のほとんどが網羅され、なかには「深山」のように、わずか6機しか生産されず実用化に至らなかった飛行機さえも含まれている。
ニュージーランド空軍(すなわち連合軍)による、日本機の性能分析はどのようなものだっただろうか。
たとえば「ZEKE」と呼ばれた零戦。オリジナルの「MarkⅠ」(二一型)に加えて、「MarkⅡ」(二二型)、「MarkⅢ or Model52」(五二型)があることが紹介され、エンジンは「MarkⅠ」は栄一二型(955馬力)、「MarkⅡ」は栄二一型(1120馬力)と、日本側の公称馬力(それぞれ950馬力、1130馬力)にきわめて近い数字が記されている。
「KNOW YOUR ENEMY AIACRAFT」に紹介されている零戦。コードネームは「ZEKE」 -AD-マイルで記された最高速度も、キロに換算すると「MarkⅠ」が約525キロ、「MarkⅡ」が546キロで、これらは日本側のデータとほぼ等しい。ただ、登場間もない新型のMarkⅢ(五二型)が、推測で約603キロというやや過大な数字(約40キロ速い)になっているのは、まだ鹵獲機のテストができなかったからだろうか。
零戦の長所としては、上昇率が高く、低速での旋回性、操縦性のよさ、良好な視界が挙げられ、「現在では防弾板を装備していると考えられる」と書かれている。弱点は、軽量なつくりと防弾板がないこと(前後の記述が矛盾しているが、おそらく長所の「防弾板」の部分は最新の報告から書き加えられたものであろう)、燃料タンクに被弾したさいのセルフシーリング(防漏装置)がないこと(これについては、昭和19年中頃から自動消火装置が装備されている)、高速で操縦性が低下し、機体強度の弱さから制限速度が低いことなどが述べられている。
また、MarkⅢ(五二型)は「改良された栄二一型エンジン」を搭載した新型として、警戒感を持っていることがうかがえる。
同じ零戦でも、翼端が角型の三二型については「HAMP」と別のコードネームがつけられているが、
「四角い翼端と大きなスピンナー以外はZEKEと同様」
との記述があり、角ばった翼端が、米軍のグラマンF6Fに似ていることから、コクピット形状や尾部の形で識別するよう、注意が添えられている。
零戦各型のうち、翼端が四角い形の三二型だけは、「HAMP」という別のコードネームで呼ばれている陸軍の一式戦「隼」(OSCAR)については、性能は零戦に準じるものの、
「OSCARは(海軍の)カウンターパートであるZEKEより劣っているとみなされる」
と、厳しい評価。二式戦「鐘馗」(TOJO)は、パイロットは防弾板で保護されるものの、
「高速で操縦性が極端に低下、主翼の付け根に被弾するとすぐに火災を起こし爆発する」
と指摘され、三式戦「飛燕」(TONY)は、パイロットは防弾板で保護され急降下速度も速いが、燃料タンクの防弾装備は効果がなく、
「ほとんどの連合軍の飛行機によって打ち負かされる」
と、戦闘機としては屈辱的な評価がくだされている。
「ほとんどの連合軍の飛行機によって打ち負かすことができる」と酷評された陸軍三式戦闘機「飛燕」(コードネーム「TONY」)また、真珠湾攻撃などで活躍した九七艦攻(KATE)は、
「これといって特徴のない機体だが、主に搭乗員の勇気とスキルによってこれまで成功をおさめてきた」
九九艦爆(VAL)は、
「顕著な長所なし。速度が遅く、爆弾搭載量が少なく、機動性が低く、防弾装備もない」
と、ソロモンの実戦で損耗を重ねた事実を照らせばやむを得ない酷評。
真珠湾攻撃で活躍した九七艦攻(上。コードネーム「KATE」)も、九九艦爆(下。「VAL」)も、1944年当時は時代遅れの旧式機だった陸軍一〇〇式司偵(DINAH)は、その高速が特筆されているのみ。海軍一式陸攻(BETTY)は、すぐれた性能、強力な防禦火器を持ち、効果的な防漏タンクを持つが、
「すぐに燃える」(Burns readily)
と、身も蓋もない。
正鵠を射ていた日本軍最高司令部に対する分析
逆に、高評価を得ている機体はというと、陸軍一〇〇式重爆「呑龍」(HELEN)は、
「すぐれた速度と航続力。パイロットは防弾板と防弾ガラスで保護され、射程の長い高性能な防禦火器(特に背面)を備えている」
陸軍一〇〇式重爆「呑龍」(HELEN)は、「すぐれた速度と航続力。パイロットは防弾板と防弾ガラスで保護され、高性能な防禦火器(特に背面)を備えている」と評価海軍零式観測機(PETE)は、
「連合国の類似機種よりもすぐれたパフォーマンスを持ち、明らかに成功した機体」
海軍零式観測機(PETE)は、「連合国の類似機種よりもすぐれたパフォーマンスを持ち、明らかに成功した機体」と高く評価されている二式飛行艇(EMILY)は、
「すぐれた兵装、すぐれた性能。連合国の飛行艇より高性能」
二式飛行艇(EMILY)は、「すぐれた兵装、すぐれた性能。連合国の飛行艇より高性能」と記されている……などと紹介されている。川西航空機が開発した二式飛行艇の技術は、いまも川西の後身である新明和工業が開発した海上自衛隊のUS-2として生かされている。
最前線に投入されて間もない新鋭機、「天山」艦攻(JILL)や「彗星」艦爆(JUDY)についても、写真や正確な性能諸元とともに、「天山」は
「高性能。数字の上では同様の連合国の飛行機よりすぐれている」
彗星は、
「急降下爆撃機としてすぐれた高性能機」
実戦に投入されて間もない艦上攻撃機「天山」(上。「JILL」)も、艦上爆撃機「彗星」(下。「JUDY」)も、諸元とともに写真入りで解説されていると評されているのが目を引くが、驚くのは、1944年8月時点ではまだ制式採用されていなかった陸上爆撃機「銀河」(FRANCES)が、性能諸元は不明ながらも「万能爆撃機」(All-purpose bomber)として、飛行中の姿を上空から捉えた写真を添えて掲載されていることである。
-AD- まだ制式採用されていなかった陸上爆撃機「銀河」(FRANCES)も、「万能爆撃機」として写真とともに掲載されているひと通り、日本機の機種紹介が終わったあとに記された解説の末尾には、
「And REMEMBER_THE INTELLIGENCE OFFICER GETS ALL THE GEN.」(諜報員は全ての情報を手に入れる)
と、わざわざ太字で記されている。この冊子も諜報活動の成果だと言いたいのだろう。だとすると、誰がどのように、誰から情報を得ていたのかが気になるが、それはまた別の主題になろう。
総括としては、
「日本機は総じて空中で脆弱で、損失を考慮せずに作られたと思える。ほかの性能と引き換えに頑丈さを犠牲にする日本の最高司令部の決定は、日本を敗戦に至らしめる最大の要因になるかもしれない」
と、いま見るとじつに正鵠を射た分析をしながらも、
「しかし、これらの知識を身につけさえすれば、日本機を撃墜したり、撃墜されることを回避できるものではない」
と、味方の搭乗員に釘を刺すことも忘れていない。
「諸君が戦っている男たち」とは?
では、これらの飛行機を操る日本の搭乗員について、彼らはどう見ていたか。
「The Man You Are Fighting」(諸君が戦っている男)と題したページには、軍艦旗のマークがついた鉢巻を巻く日本の搭乗員の写真とともに、
「彼の強み 1.彼は勇気と信念をもつパイロットである。慈悲を求めず、慈悲を与えない。 2.頑丈な体格とすぐれた持久力をもっている 3.天皇と国家に狂信的な忠誠心を持っている。彼の精神は、『勝利か、死か』 彼の弱点 1.自発性と独創性に欠ける 2.戦闘能力は一般的に高くない 3.撃たれることに無警戒 4.彼らの受けた訓練は諸君の足元にも及ばない」 と、一部なるほどと思うところもあるが、なかなか辛辣な言葉が並ぶ。
「The Man You Are Fighting」(諸君が戦っている男)と題したページでは、日本の搭乗員の長所と短所が分析されている 1945年9月6日、ラバウルで行われた、陸軍第八方面軍司令官・今村均大将(上)と、海軍南東方面艦隊司令長官・草鹿仁一中将(下)による降伏調印式 ソロモン諸島・サンタイサベル島のレカタ湾に、損傷したまま放置されていた海軍零式観測機いま、ニュージーランド最大の都市・オークランドの戦争記念博物館には、終戦後、ブーゲンビル島でRNZAFが接収した零戦二二型の実機が展示されている。この機体の傍らに展示されている日本海軍の搭乗員飛行服一式は、木名瀬信也さんが戦時中、自身が身につけていた装備品を、「両国間で戦った不幸な時代を記憶し、後世への戒めになれば」との思いから寄贈したものである。
ブーゲンビル島で連合軍に接収、機体を塗り直され緑十字を描かれた零戦二二型。この機体は現在、日本海軍の塗装に戻されてオークランド戦争記念博物館に展示されている -AD-「戦争の記憶を振り返る」という場合、たいていは自国の戦死者や体験者にのみ意識が向いて、戦った相手の目線でものごとが語られることは少ないと思う。
しかし、ときには視点を転じ、交戦相手国が日本と日本人をどのように見ていたかの一端を知ることも、自らを見つめ、「過ちを繰り返さない」ためには大切なことではないだろうか。
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