中国 -100年遅れの帝国主義-
- はじめに
- 1. 親中のルーツは「思想」から始まった
- 2. 対話主義が「沈黙外交」に変わった瞬間
- 3. 理想と現実のすれ違い
- 4. 「力を伴う平和主義」への転換が必要
- 5. だから、連立解消は自然な帰結だった
- 理想を更新する勇気を持てるか
はじめに
10月6日、公明党の斉藤鉄夫代表が呉江浩・駐日中国大使と面会した。そのわずか4日後、公明党は自民党との連立解消を発表。
このタイミングが「あまりにも出来すぎている」として、ネットや一部メディアではちょっとした波紋が広がった。「中国とのパイプが動いたのでは?」「親中路線が表面化したのでは?」という憶測も出ている。
“面会と連立離脱の時間軸が不自然だ”“背後に中国の影響があった可能性も否定できない”
——そんな声も少なくない。一方、公明党側は即座に反論した。「中国との面会は外交・友好の一環にすぎない」「連立解消との関係はまったくない」と。つまり、表向きは偶然のタイミング、裏は“誤解”だという立場だ。
だがこの出来事は、単なるタイミングの話にとどまらない。長年くすぶってきた「なぜ公明党はここまで中国寄りに見えるのか?」という根源的な問いを、再び浮かび上がらせた。
ここで少し、公明党と中国の関係を歴史の流れから振り返ってみたい。
1. 親中のルーツは「思想」から始まった
公明党の母体・創価学会は、戦後の混乱の中で「もう戦争をしない」という強い反戦思想を掲げて広がった。中心にあるのは、“敵を作らない”“対話で解決する”という非対立主義。
日中がまだ国交を結んでいなかった時代、創価学会と公明党は「アジアの平和は日中の信頼なくしてあり得ない」と訴えた。1968年、当時の竹入義勝委員長は周恩来首相と会談し、政府間ではまだ開かれていなかった民間外交のルートを築いた。その後の1972年、田中角栄による日中国交正常化の際、この“宗教ルートの信頼”が間接的に役立ったとされている。
つまり、公明党の親中姿勢は、最初から「取引」や「利権」ではなく、戦争責任の反省と平和主義の信念が出発点だった。“友好=贖罪”“対話=平和”という価値観の延長線にあったわけだ。
2. 対話主義が「沈黙外交」に変わった瞬間
時代が進むにつれて、理想は次第に現実とズレていく。中国が経済・軍事両面で急成長し、香港、新疆ウイグル、台湾、南シナ海で強硬路線を取るようになっても、公明党は一貫して「対話の継続」を掲げた。明確な批判を避ける姿勢は、平和主義の裏返しでもあった。
彼らの論理では、「非難は敵意を生み、対話は平和を保つ」。けれど現実は逆だった。中国はその“沈黙”を利用し、対話を「時間稼ぎ」として戦略的に使う国家になった。
ウイグルでの人権侵害、台湾への威嚇、フィリピン艦船への妨害——。それでも日本の与党の一角にある公明党は、ほとんど声を上げない。結果として、“平和のための沈黙”が、加害者に都合のいい沈黙に変わってしまった。
3. 理想と現実のすれ違い
かつての中国には、まだ“変わる余地”があった。改革開放期の中国は、経済発展を最優先に掲げ、国際社会に学ぼうとする姿勢を見せていた。日本企業の投資はその経済成長を支え、大学や文化交流も盛んだった。この頃、公明党が信じていた「対話による変化」は、ある意味で現実味を持っていたのだ。
しかし、21世紀に入り構図は一変する。中国は経済的豊かさを手に入れると同時に、それを政治的支配と軍事的影響力の拡大に転用する国家へと変貌した。「経済協力で関係が安定する」という古い幻想は、もはや通用しない。
今の中国は、
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台湾を“国内問題”とみなし、武力による統一も辞さない姿勢を公言
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南シナ海では人工島を軍事拠点化し、国際裁判の判決を無視
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香港の一国二制度を実質的に終わらせ、報道と言論を封殺
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東シナ海や尖閣周辺にも連日のように艦船を派遣
こうした動きは、「覇権」「領土」「影響圏の拡大」を国家目的として明確に打ち出していることの証だ。もはや“対話で改心する相手”ではなく、“対話を外交カードとして使う相手”になっている。
それでも公明党は、宗教的理念と与党としての政治的立場という二重の制約に縛られたままだ。ひとつは「相手を断罪しない」という思想上の枷。もうひとつは「自民党の強硬路線をやわらげるバランサー」という政治的役割。
結果として、強く出ることも、完全に沈黙を破ることもできない。理念は保たれたが、守りたいはずの“平和の現実”は守れなくなっている。
この構図は、公明党だけの問題ではない。戦後日本が長く抱えてきた“平和=非武装・対話”という思考の限界そのものでもある。理念が現実を縛り、現実が理念を侵食する。その狭間で、日本の安全保障は、危ういバランスの上に立たされている。
4. 「力を伴う平和主義」への転換が必要
いま必要なのは、「対話をやめる」ことではなく、“現実を踏まえた平和主義”への再構築だ。
平和は、祈って得られるものではない。他国が武力を誇示し、国際法を軽視する現実の中で、“善意だけの平和主義”は他者を守れない。
ここで言う「力」とは、軍拡競争ではなく、平和を維持するための構えだ。それは「戦うための力」ではなく、「戦わせないための力」。防衛力を整え、同盟国との信頼を強化し、その上で冷静に対話の扉を開き続ける。このバランスをとる覚悟こそ、現代の平和主義の条件だと思う。
日本は本来、「武力を制御する知性」を持った国だ。敗戦の痛みを経験し、核を持たず、憲法で戦争放棄を明文化した。この国が進むべきは、「力を持つ理性」=理性的抑止国家という新しい形だ。
つまり、
対話で軟化させ、力で抑止し、理念で方向を示す。この三層構造を持った“成熟した平和主義”が必要だ。
公明党がこれまで掲げてきた平和主義が“対話のための平和”だったとすれば、これからの時代に求められるのは、“守るための平和”だ。防衛力を敵視するのではなく、それを「平和を長く持続させるための知的な道具」として再定義する。
「対話」と「抑止」、この二つを切り離す時代は終わった。いまのアジアに必要なのは、理想を持ちながら現実に耐える強さだ。
5. だから、連立解消は自然な帰結だった
こうしてみると、今回の連立解消は“政治の事件”というより、理念と時代の整合性がようやく取れた瞬間だったのかもしれない。
公明党にとっては、与党という座と引き換えに薄まっていた“平和の魂”を取り戻すチャンス。自民党にとっては、防衛・外交をより明確に打ち出せる自由。お互いにとって、これは決裂ではなく再定義だ。
宗教から生まれた平和主義が、国家現実とどう向き合うか。その問いに真正面から答えるタイミングが、ようやく来たというだけの話かもしれない。
理想を更新する勇気を持てるか
公明党が掲げてきた「平和」は、確かに戦後日本の良心の象徴だった。だが、時代はもう変わった。中国は「対話」を利用し、台湾や東南アジアを圧迫し、軍事で現状を変えようとしている。
理想を掲げ続けることは美しい。けれど、守れない理想は、結局だれも救えない。平和主義は「戦わない思想」ではなく、「戦争を起こさせない意思」であるべきだ。
国も政党も、そして私たち国民も――現実を直視しながら、理想をもう一段深く“更新”できるかが問われている。
沈黙の平和から、行動する平和へ。それが、次の時代に求められる日本の姿だと考えられる。