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【べらぼう】史実では蔦重(横浜流星)とてい(橋本愛)の子はどうなった?二代目以降の蔦屋重三郎を紹介 歴史・文化 角田晶生(つのだ あきお) 2025/11/09第42回放送「招かれざる客」で、おていさん(橋本愛)から懐妊が明かされた蔦重(横浜流星)。
「この世には面白いことがいっぱいあるぞ、早く生まれて来い、このべらぼうめ!」
亡くなった母つよ(高岡早紀)の生まれ変わりかも知れない……そんな幸せいっぱいの二人ですが、果たしてこの子は無事に生まれる又は育つのでしょうか。
というのも、史実では二代目蔦屋重三郎を襲名したのは彼の実子ではないからです。そこから考えると、この子は流産や死産、あるいは早逝してしまう可能性も否めません。
※女児が生まれて、婿を取った可能性もありますが……。
果たしてこの子はどうなるのか、そして蔦重亡き後、蔦屋重三郎の屋号はどうなっていくのか……今回は五代目まで続いた歴代の蔦屋重三郎について紹介してまいります!
二代目・蔦屋重三郎
初代亡き後の耕書堂を支えた二代目蔦屋重三郎(イメージ)
- 生没:生年不詳~天保4年(1833年)5月26日没
- 実名:勇助
- 出身:伊賀屋勘右衛門の義従弟
- 身分:番頭から婿養子に
- 子女:尾州永楽屋、祐助(三代目)
- 戒名:勇山院松樹日行信士
彼は日本橋で板元を営んでいた伊賀屋勘右衛門(いがや かんゑもん)の妻の従弟……という関係で、耕書堂に奉公していました。
初代蔦重の亡き後、未亡人となったおていさんを支えて耕書堂を守り抜いた才覚が認められ、婿養子となったと言います。
※ということは、蔦重とおていさんの子供は女児だったのでしょうか。だとすれば、無事に成人できそうですね。よかったよかった。
……今のつた重、此時番頭をつとめ、後室を後見して家を治む。依而(よって)二代の家名を相続す……
※山東京山『蛙鳴秘抄』より
二代目蔦重を襲名した勇助は葛飾北斎(くっきー!)を抜擢、また蔦屋と疎遠になっていた喜多川歌麿(染谷将太)との関係回復に努めたそうです。
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