エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)
エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

  1925年4月、第2次市域拡張によりほぼ現在の大阪市域が成立します。大阪市は、211万人の人口を抱える「大大阪」と呼ばれるようになり、当時の東京市をこえる日本一の大都市となります。

 「大大阪」の隆盛を支えた産業のひとつが、紡績業でした。1882年5月に渋沢栄一が設立した大阪紡績会社は、蒸気機関を動力源とした日本初の近代的紡績工場として、現在の大阪市大正区に設立されました。

 大阪紡績会社は、1914年に三重紡績と合併して東洋紡績会社(東洋紡)に社名を変更して、日本トップの紡績会社となりました。その成長を支えたのが、小学校を卒業して間もない14歳で働きに出た多くの少女たち=「女工さん」です。

 東洋紡に限らず各地の紡績工場は、地方に女工さんの募集人を派遣して、少女たちを紡績工場へと送り込んでいました。女工さんは、3年などの契約期間で働かねばならず、工場の敷地内にある寄宿舎で生活していました。

女工さんの生活は過酷でした。工場は24時間フル稼働しているので、女工さんは昼勤と夜勤で交代して働いていました。昼勤の場合、朝6時に工場に入り、仕事中に朝食と昼食をとり、夜18時に退勤します。食事時間は2食あわせて30分しかありませんでした。また夜勤の場合は、夜18時から朝6時まで働き、夜中の12時に夜食を食べていました。もちろん昼勤も夜勤も、休憩時間はありません。

正蓮寺川にかかる千鳥橋の写真(昭和39年撮影)(大阪市ウェブサイトよりhttps://www.city.osaka.lg.jp/konohana/page/0000434816.html

 大阪市此花区には、東洋紡の西成工場と四貫島工場がありました。西成工場では450人の女工さんが働いていました。この西成工場では、富山県出身の女工さんと鹿児島県出身の 女工さんが働いていましたが、1925年7月13日に、鹿児島県出身の200人が、富山県出身者と比べて差別されていると怒って、寄宿舎に立てこもりました。翌朝、近くの四貫島工場に助けを求めようと、20人の女工さんが工場を脱出して幅8メートルの正蓮寺川を泳いで対岸にたどり着きましたが、あえなく工場に連れ戻されてしまいます。現在の中高生世代の女工さんのパワーに圧倒されますね。

エル・ライブラリー特別研究員 黒川伊織。初出は機関紙編集者クラブ「編集サービス」2025年9月号。原文には写真なし)

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