北九州・小人の家の真相を考察【2025/08/24更新】
※一部記事を更新しました!
少し前に、YouTubeのほうで教えて頂いた北九州に存在すると言われている「小人の家」について調査していこうと思います。
動画化もしていますので、是非ご覧ください!
小人の家とは?
どうやら、「小人の家」は福岡県に存在しているみたいですね。
福岡県北九州にある(あった?)小人の家を調べてください すごい気味悪いって聞きました
少し調べてみると、一軒だけでなくいくつか同様の小さな建物が存在しているみたいです。
これはかなり昔の話なのですが「小人の家」と呼ばれる廃墟があり
「小人の家」は、100mx70m四方の範囲に家が7~8軒ほどあって、
周りは溝が掘られており、そこに入るには小さな橋を渡らなくてはいけません。
昼間に行ったのですが、異様な雰囲気と木々に覆われているせいか、
薄暗く、とても気持ち悪いです。
家は、ペンションの用な感じの造りですが、
入り口の扉が異様に小さく、100cmx50cm位だったと思います。
「またおいで!」と声が聞こえたなどの話がありました。
https://poisoncookie0208.com/951.html付近ではちょっとした噂が存在していて、首つり自殺があったなど心霊スポットになっているみたいです。
残念ながら「小人の家」の写真はネット上に一切ありません。
それどころは地元の人にしか認知されていないみたいで、情報もそんなにないんですよね。
考察
・場所は?
福岡県のどこに「小人の家」はあるんでしょうか。
具体的な場所は書かれていませんが、河内貯水池付近に存在しているという書き込みがありました。
176 :本当にあった怖い名無し:04/08/17 23:02 ID:OhRSHMjakワチ貯水池そばにあった小人の家?について知っとるひとおしえて。バイク買って逝けるようになった頃にはなくなってますた。ちなみに俺はkワチ、hタ、mスブチでしょっちゅうバス釣りしよるけど何も感じない。。。あ、15年くらい前に3号線の海老津のトンネルでバイクに乗ってるときに白い影みたいなのに追われたことがあるけどなんかあるんかな、あそこ。
https://hobby5.5ch.net/test/read.cgi/occult/1090732823/l50しかし、以下の書き込みがあった2002年から15年ほど前に取り壊されてしまったみたいなんです。
186 :本当にあった怖い名無し:04/08/18 02:44 ID:Ff5xNR60>>180小人の家・・・15年ほど前に壊されてサラ地になってマスタ。姉から話(噂じゃなくレポート)を聞いていたんで。実物が見たかった。このスレ見よって思い出したけど7~8年前ダチとに小倉南区の長野城跡というところに車(MT車)で行ってたときに突然、ストールしたことがあってさ。しばらくエンジン掛からんかったんやけど、しばらくして何事もなかったように掛かってさ。「ケータイ圏外やしどーやってJAF呼ぼうかマジあせった」とか言って、いままで笑いのネタにしとったけどあれって今、考えれば幽霊!?これで成仏してくれとったらいいが。。。幽霊、今まで気づかんですまそ。んで長文申し訳ありません。
https://hobby5.5ch.net/test/read.cgi/occult/1090732823/l50今から30年以上前に壊されてしまったとなると、ネット上に写真がないのも頷けますね。
河内貯水池の歴史が書かれている資料を見つけたので、ちょっと確認してみましょう。
以下のように記載されているのを確認できました。
“I型鋼桁橋の水無第一橋・第二橋は現在、撤去されている。”
http://dobokore.jsce.or.jp/2014/_common/uploads/archive/hands082_kawachi.pdf地図でいうと赤丸の部分です。更地になっているという風に書かれていたのでもしかしたらこの付近に存在していたのかもしれません。
- 何ために建てたのか?
ではこんな小さな家を何のために建てたのかって話ですよね。
ちょっと長いんですが、こちらをご覧ください。面倒だよって人は簡単にまとめるのでスルーしてください。
443 :小人の家:2001/05/22(火) 17:38昔、15年くらい前かな?その頃はまだ今みたいに開けてなくって九州民芸村があってその上(奥に)精神病院か施設かしらないけど何かヤバい人たちがいる建物があったんだ。俺は民芸村にバイトで週一回通ってたんだけど、そのときバスから見える変な家があった。あ、山に向って左手の方ね。んで表札もついているけど誰も住んでいる気配がない。しかも、二階建てで2階に入る直通の階段が外にある。(カンカンいうような階段)でも、一番無気味なのは2階に窓らしきものがないことと玄関のドアノブが普通の大人のひざくらいの位置についていること。いつもみんなで「なんでかなー?」って言ってた。
444 :小人の家:2001/05/22(火) 17:44そんでそこは「小人の家」って呼ばれてるって事を八幡の人から聞いたんだけど誰もその由来を知らなかった。それから、2年くらいたって俺は福岡に就職してそこで偶然北九州の人間とあって、その話をしたんだよ。そしたら、その男(仮にMとする)がいうには「あそこはせむしの画家が住んでたんだよ。で、おれは高校の頃先輩と肝試しで行った事があるけど(そのころすでに人は住んでなかった)。玄関から入ったら普通の家だけど蛇口も洗面台も流しも全てひざくらいの場所にあって、2階にあがる階段がないんだよ。で、外に出たら2階に上がる鉄の階段があったから上がってみて部屋に入ったら。
445 :小人の家:2001/05/22(火) 17:52部屋の中は座敷牢みたいに格子で仕切ってあって布団がひと組あった。その布団にも壁にもべったりと血の乾いた後が付いてた。おれはびびって逃げたけど。後で聞いたらあそこに住んでいたせむしは頭のおかしい画家で「アトリエ」として家を建ててもらったらしい。どう言ういきさつか知らないけどそこに女を誘い込んで監禁してたらしい。女はもともとおかしかったのか、絶望でおかしくなったのかそこで首を切って自殺した。布団の血はその時の物だよ。まあ、あそこはもともとおかしい(Bや、近親相姦の多い)所だったからな。」と、いいました。これが小人の家の話です。この間行ってみたら家は無く、遊歩道になって明るくなっていました。いまでは元家のあった場所も解りません。
簡単にまとめます。
当時貯水池付近でに住んでいた方の証言です。
どうやら、「小人の家」はせむしの画家が住んでいた場所とのことなのです。
建物は玄関から入ると普通の家だけど、中にある家具は全て膝くらいの場所にある。
そして2階に上がる階段がないらしい、外に出たら2階に上がる鉄の階段があって上がってみると部屋がある。
そこには座敷牢のように格子で仕切ってあって布団が敷いてあった。
そしてそこら中に血痕があったらしい。
後で聞いた話によると、住んでいたせむしの画家は「小人の家」をアトリエとして建ててもらったらしい
そこに女性を監禁していて、その人が自殺した時の血痕が残ってるらしい。
あそこはもともと変な人が結構いたとのことなんです。
ちなみにせむしとは背筋の曲がった人のことを指します。
その方が利用しやすいように建てられた場所なんだとか。
かなり脚色された話ですが、貯水池付近にある怖い噂や地理的に見れば辻褄が合うんですよね。
ここで疑問なのが、貯水池の敷地内に個人的な家を建てるものなのかという話です。
先ほどちょっと触れた歴史資料を見ると、こちらの貯水池の所有者は八幡製鐵所(新日鉄)となっています。
もう少しこの貯水池のことを調べてみると、色々と普通とは違う建物が多く存在しているんです。
参考程度に少しだけ画像を載せておきますが、これ以外にも橋や壁などすごく洋風なつくりになっています。
どうやら、貯水池と周辺施設の設計にあたった方の方針だったみたいですね。
貯水池と周辺施設群の設計、施工の指揮にあたったのは、八幡製鐵所技師の沼田尚徳であった。
沼田は、漢詩や書を嗜み、独自に美的感覚を磨く一方で、大正4(1915)年から翌年にかけて英米に9ヶ月間滞在し、事例見学や文献の収集など当時英米の最先端の技術や思想に触れていた。おそらくはそうした知識や体験を通じて、土木構造物には高い水準でデザイン性やシンボル性が付与されるべきであるとの信念を持つに至ったと考えられる。その答えの一つが貯水池と周辺施設群といえるであろう。
他のサイトでは、ヨーロッパの古城をイメージしたという記述もありました。
また、ヨーロッパの文化で庭に小さい家を建てるという風習があるみたいなんです。
ヨーロッパの方の雪が深くなる地方の、庭にある小さい家は、冬場に外で遊べない子供が人形遊びをする為に建てるんだよ。北九州のやつもそれを真似て作ったやつなのかもね。
まとめ
まとめると、実際に「小人の家」と呼ばれる場所は存在していたんだと思います。
用途としては、体の不自由な方のために建てられた場所であるということです。
恐らく、現場に携わった画家なのか、何か契約をしていたのかはわかりませんが、景観を壊すことなく貯水家施設の一つとして当時は扱っていたんだと思います。
小人の家以外にもこの河内貯水池付近には面白い建造物がいくつも立っています。
その中には老朽化で廃墟となっている場所もありますので、「小人の家」もその一つだったのではないでしょうか。
2024/03/21更新
小人の家について再調査した結果、地元では河内貯水池付近に「小人の家」と呼ばれる廃墟が複数存在していたようです。
北側と南側で意見が分かれており、どちらも「小人の家」と呼ばれていたようです。
北側は以下の座標で、現在は資材置き場として利用されています。
33°50’31.3″N 130°48’35.2″E
外観は洋風で建物は複数、地元の人は「ちろりん村」と呼んでいたらしいです。
南側は以下の座標で、現在は空き地になっています。
一軒家で普通の家より少し小さい。家の中に小人がいる、家の中の本を開くと吸い込まれるという噂があったらしいです。
それぞれの当時の住宅地図を確認してみると、
北側は探石場(50年前)→資材置き場(40年前)→現在
というようになっており、当時この場所に建物があったのかは不明。
南側は別荘という表記になっており、恐らく噂されていた建物だと思われます。
他にももう少し別の場所にあったという情報もあり、建物の写真等が残されていないことから特定は困難になっています。
河内貯水池付近は廃墟の宝庫と呼ばれているそうで、当時から多くの廃墟が存在していました。
洋風な建物も多いことから当時も色々な噂が存在していたのではないかと思われます。
2025/08/25更新
※新たな証言が届きましたので、記事を更新しました。
以前、小人の家の候補地は2つあるとお話しましたが、3つ目の証言が届きました。
場所は河内貯水池内の派出所の横を進んでいくとある建物で、同様の証言が複数届いていました。
現在、派出所は別の場所に移動していますが、旧派出所はここになっています。
この方の証言によると、登山道を登る途中に小人の家が見えており、ハリボテ風のかなり小さな家が数軒あったといいます。
ちょうど旧派出所が存在していた場所に登山道がありまして、この付近にかつて小人の家と呼ばれる廃墟が存在してたと思われます。
改めて古い住宅地図を確認してきました。
道の入口には「登山口」と「派出所」。
進んでいくと「西河内橋」右手に「別荘」左手に「アキヤ」と書かれた建物が出現します。
更に進んでいくと、「フィールどアスレチック河内サンパーク」と「バンガロー」があります。
この「バンガロー」というのは、キャンプ場などにもある木造の簡易的な小屋です。
1953年の書籍にはこのような記載があります。
少なくとも1953年頃から河内貯水池内にはキャビンやバンガロー、キャンプ場が点在していました。
今回の証言にあった「ハリボテ風の数軒の家」というのは、かつてキャンプ場のような場所で使われていた「バンガロー」だったのではないかと推測出来ます。
ただ、前回紹介した河内貯水池南側にある「別荘」も小人の家と呼ばれていたという証言も多く届いていました。
河内貯水池は廃墟の宝庫とも言われており、少なくとも1953年頃からキャビンやバンガローといった簡易的な小屋が点在していました。
時代によってバンガローが小人の家と呼ばれていたり、別荘の廃墟がそのように呼ばれていたことがあったのでしょう。
もはやどれが本物の「小人の家」なのかは不明で、その時代によって噂されていた小人の家は異なっていたのだと思います。
カテゴリーインターネットの都市伝説