松山千春が語った歌手ではない別の人生、48年前に36歳で急死した恩師との出会いがなければ…
松山千春(2025年撮影)歌手松山千春(69)が8月31日、FM NACK5「松山千春 ON THE RADIO」(日曜午後9時)に生出演。1977年8月27日に36歳で急死したSTVラジオのディレクター、竹田健二さんを追悼した。
松山は1975年に「全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場するも落選。その姿を見ていた竹田さんに見いだされ、1976年には同局の日曜番組の1コーナーで2曲を生披露することになる。1977年、1月25日に「旅立ち」でメジャーデビューを果たすが、同年8月27日、竹田さんは急性心不全で亡くなってしまう。竹田さんが、松山のニッポン放送「オールナイトニッポン第2部」(深夜3時開始)の出演交渉をした翌日のことだったという。
松山はリスナーから来た「竹田さんともし出会ってなかったら」とのメールを読み上げた上で「何をやってたのか。他の歌い手の曲を聴いて、この人のファンだ、みたいなことをやってたかもしれないしな」と切り出した。
松山は地元の足寄高を卒業すると北見市に向かっていた。「北見時代、本当は自動車の免許を取りたくて。北見で料理屋やバーテンしていた頃、俺さ、あのままいたらさ、水商売やっていたと思うんだけどさ」と語った。
そして「北見でやっぱり、そういう店を派手にっていうか。昔と北見と違うからな。今は寂しくなってるからな。そんな中でも水商売でもやってたんじゃないかなって考えるな」と続けた。
「俺は北見で無事に車の免許取れたし、これで父さんの仕事の手伝いができるなって。竹田さんから連絡があって。こっちは車の免許は取ったし、喜んでやらさせてもらいますと。1週間の間に2曲つくる、それが楽しみで楽しみで」と当時を回想。「松山千春、21歳。竹田健二さん36歳。すべてがあったんだなぁ。つくづくよかったなと思います」としみじみ語った。
松山は前週の放送でも竹田さんに言及。「竹田さんの命日、8月27日、一生忘れることなく、たとえ俺が認知症、ボケたとしても、自分の誕生日は忘れても、8月27日だけは忘れたくないなと思います」と語った。番組の最後には「竹田さんが亡くなられて、ずっと1人でいろんなことをやりながらここまで歌ってきましたが、竹田さん、これからも、どんな風になろうとも、松山千春、歌い続けますから、どうぞ…空の向こうで…見ていてもらいたいなと思います」と締めくくった。
生放送は北海道札幌市のSTVラジオで行われた。