「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog
南座の顔見世は素晴らしかったですね。まずは昼の部レポから。
- 『醍醐の花見』
- 『一條大蔵譚』
- 『玉兎』
- 『鷺娘』
- 『平家女御島』 俊寛
- 千鳥のその後と近松先生
『醍醐の花見』
『醍醐の花見』っていつも演出(というかお話そのもの)が違うので、便利に使う演目なんだなと納得(笑)。ある意味感心する。要するに秀吉が醍醐の花見で我が世の春を満喫したというエピソードを元にしているので、なんとでもなるのだ。やたらとたくさん役者が出てきて華やか。襲名興行の幕開けにもぴったり。季節感は違うけれど。
今回は、秀吉が鴈治郎で、北政所が見ていないと淀殿を「こっちゃこい、こっちゃこい!」と手招きして呼び寄せてイチャイチャしたりして、楽しかった。観客もクスクス。
ガンとしてコワそうな北政所は扇雀。淀殿は孝太郎が可憐に。
まつの吉弥、三條殿の莟玉と、松の丸殿の吉太朗が、700本の桜の美しさもかなわないだろう的な華やかさ。莟玉の可憐な美しさは、言葉が悪いかもしれないけれどフランス人形的な?中原淳一が描くような?少女っぽさがあった。吉太朗は純和風でこれまた美しい。
『一條大蔵譚』これも何度も観たけれど、今回の大蔵卿(幸四郎)もとてもよかったな。あほっぷりがかわいくて楽しくて、何度も笑ってしまった。品があるからいいのだ。
大蔵卿は、内心では源氏の味方をしているんだけれども、命を長らえるためにあほの振りをしている。いざというときにぶっかえって毅然とした大蔵卿になり、最後はまたあほに戻る。あほになるのも命がけなのだ。
最後の「鼻の下長なりといわばいえ、命長なり」ってセリフも決まった。歌舞伎の世界ではとにかくすぐに腹を斬って死んじゃうけれども、この長成の態度は異質。共感できる若者も多いのではないかな。できれば鳴瀬も死なないでほしかった。
あらすじとみどころはこちら
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『玉兎』ぽっかり浮いた大きなお月さまに兎のシルエット。一瞬舞台が暗くなり、ポンと出てくる兎さんが菊之助。
身体の線がしっかりと出てしまう衣裳での踊り。
太ももがしっかりと上がり、腕につきそう。手首は柔らかく、杵を持つ手も押し返す手もキレイに決まる。沈み込むところは身体が良く沈み込むのは下半身が強い証拠。船の上でグラグラしているところはまるで本当に揺れ動いているようだった。
表情もクルクルと良く変わり、愛らしく楽しかった。
『鷺娘』8菊五郎の鷺娘の時は必ず巳三郎の甘く伸びやかな声が聞かれる。踊りはもちろんだけれど巳三郎の声も聴きどころ。
〽妄執の雲晴れやらぬ朧夜の 恋に迷いしわが心
でせりあがってくる鷺の精は、もうその瞬間だけでも立ち姿といいオーラといい素晴らしい。もう当たり役と言ってもよいのではないか。
人間の男との恋に悩む鷺娘だけれど、パッと引き抜いて町娘に変わって楽しかったころの思い出を踊るのがもうかわいくてかわいくて。照明と引き抜きとご本人が「ここぞ」というタイミングで決まる。それが引き抜きの醍醐味だ。すべてのタイミングが合わないと成立しないので、自分一人ではできないというようなことを博多座のときにも菊五郎は言っていた。今回もバッチリ決まり。
その後も地獄の苦しみを味わい息も絶え絶えになり、命が尽きてゆく。観客も固唾を飲んで見守った。
海老ぞりするたびに拍手はいらないという意見がXで観られたけれども同感だな。静かに最後まで見守り、幕が閉まってから拍手をしたい。
博多座での『鷺娘」はこちら
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『平家女御島』 俊寛『鷺娘』のあと『俊寛』って、ずいぶん盛沢山な南座さん。
しかも俊寛を勘九郎と仁左衛門のダブルキャスト。
どちらも違ってどちらもすばらしかった。
勘九郎は、なんといっても18世勘三郎譲りの俊寛。硫黄島で『俊寛』を演じているから俊寛という役になりきっていた。衣裳ももしかして17世勘三郎の使ったもの?ボロボロよ。
最後のシーンでは少し微笑みすらあるような諦観の俊寛で幕を閉めた。
仁左衛門の俊寛は、またまた随所に工夫の見られる俊寛で。最初に出てくるところではワカメを拾いながら。通常の俊寛はワカメはすでに籠に入っているものを持って登場するのだけれど、舞台に出てからもワカメを拾うという動作が入っただけで、舞台で見える前に、浜辺でこうやってとぼとぼとワカメを拾いながら来たのだなあという情景がパッと想像できる。
また、令和5年の松竹座で仁左衛門が初めて見せたのが、船を追っていくシーンで海の中へざぶざぶと入っていく表現をするためにすっぽんを使ったこと。それ以上の演出はないだろうと思ったら、今回そのすっぽんの中で行ったり来たりして、つまり波にざぶーんと打ち付けられては、又向かうという表現をしていて、真に迫っていた。
勘九郎は、仁左衛門の俊寛のときは丹左衛門を演じた。これがなかなか冷たい丹左衛門で。
わざと罪を重ねるために瀬尾を斬り殺した俊寛だけれど、丹左衛門は瀬尾を助けない。
この場面を、いぜん菊五郎(当時菊之助)で観たときは、やさしさの中にある毅然とした態度に見えたけれど、今回の勘九郎は、瀬尾をばっさり心情的に斬り捨てるような冷たさを感じた。瀬尾は悪くないのだけれど、きっと勘九郎丹左衛門は瀬尾が嫌いだったんだろうという感じ。いっしょの船に乗ってきて、瀬尾の持っている赦免状と異なる小松殿に言われた赦免状を持っていたなら、船の中で打ち合わせをしておけばいいものをそれもしていない。
きっと声がやたらでかくて、正義感を振りかざして上から目線の瀬尾が丹左衛門は嫌いだったのだろうと思うと、さっぱり斬り捨てたのも腑に落ちる。
他に出色だったのは千鳥役の莟玉。とてもかわいらしくて、新たな千鳥像ができた。素直で感情表現が豊かでおきゃんな千鳥。自分はどうなるのか、固唾をのんで岩の陰から見守っているのだけれど、ごっくんと唾をのみこんだり、うわ、こわ!と目をパチパチさせたり、俊寛が自分の名前がご赦免状にないというところでは、かわいそう~と泣いたり、帰れるとわかったら、あら良かったみたいな顔をしたり。
自分は行けないとわかると、も~~!と泣いてパタパタ両腕で胸を叩いたり、傍らの岩に腕を打ち付けてしまってアイタタタとなったり、とにかくかわいいのである。
千鳥のその後と近松先生千鳥は結局どうなるかというと、船に乗ることはできるものの、敷名の浦御座船で殺されてしまう。それが、憎き清盛が後白河法皇を暗殺しようと海に落とすのを、千鳥が海に飛び込んで助けるのだ(何せ泳ぎは得意な海女)。そして清盛の怒りを買って殺されてしまうのだけれど、俊寛の妻の東屋と千鳥の霊がいっしょになって怨霊となって清盛に取り付いて、清盛をやっつけるというすごいストーリーが「鬼界が島」のあとには続くのだ。
そんな千鳥だから、このくらいのおきゃんなキャラであるのは何の不思議もなく、むしろ生き生きと千鳥のキャラが描かれてよかったと思った。
俊寛は、「平家物語」の中に出てくる話だけれど、そこでは俊寛が一人残されて地団太踏むという史実が書かれている。それを近松が、少し変えて、一旦許されて帰れることになったのに、自分で千鳥のために、自分は残るという決断をする。けれどもそう思い切っても凡夫心、で悟る心境には簡単にはなれない というストーリーにかえたのは近松先生本当にすばらしい。
昼の部はこれにて。