「二十菩薩」碑(佐賀市大和町) 戦後の混乱期の災害、今に伝え
「二十菩薩」碑(佐賀市大和町) 戦後の混乱期の災害、今に伝え

「二十菩薩」碑(佐賀市大和町) 戦後の混乱期の災害、今に伝え

「二十菩薩」碑(佐賀市大和町) 戦後の混乱期の災害、今に伝え 災害歴史遺産(30) 備え 防災さが 2024/10/26 11:15 山本礼史

佐賀市を流れ、流域に大きな恵みをもたらしている嘉瀬川。かつて、出水期にたびたび氾濫を起こしていた。大和町の川上地区では、終戦直後の1945(昭和20)年9月の枕崎台風と49(昭和24)年8月のジュディス台風で2度の深刻な水害に見舞われた。

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昭和20年代の水害の犠牲者をしのび、復旧に合わせて建立した「二十菩薩」の石碑=佐賀市大和町東山田

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 佐賀市を流れ、流域に大きな恵みをもたらしている嘉瀬川。かつて、出水期にたびたび氾濫を起こしていた。大和町の川上地区では、終戦直後の1945(昭和20)年9月の枕崎台風と49(昭和24)年8月のジュディス台風で2度の深刻な水害に見舞われた。犠牲者を追悼する「二十菩薩(ぼさつ)」の石碑は、災害の記憶を今に伝えている。

 枕崎台風は45年9月17日、鹿児島県枕崎市付近に上陸し、九州地方を縦断した。太平洋戦争の戦況悪化によって河川の堤防改修などがほとんど行われておらず、佐賀県内でも各地で氾濫が相次いで死者・行方不明者は101人に上った。49年8月16~17日に九州に上陸して県内を襲ったジュディス台風では、95人の死者・行方不明者を出した。

 大和町史によると、旧川上村は枕崎台風で嘉瀬川の氾濫により堤防の決壊や家屋の倒壊、流失などが相次いで、一面が泥海と化した。死者24人となり、浸水で耕地も荒れるなどして甚大な被害をもたらした。

 災害の深い爪痕を残す地域に、4年後のジュディス台風が追い打ちをかけた。堤防が200メートルにわたって決壊するなどして家屋を押し流し、村南部のほぼ3分の2が濁流にのみ込まれたという。死者19人、家屋の被害は800棟を超えた。村の年間収入の6倍に相当する総被害額となった。

 村内で特に被害の大きかった平田地区は住民が協力して苦難を克服し、再起したと伝わる。亡くなった20人の冥福を祈るため、56(昭和31)年に「二十菩薩」の石碑を建立した。

 嘉瀬川はダムの完成や堤防整備などが進み、かつてのような水害は起きないようになった。「二十菩薩」と共に立つ「水害復旧記念碑」の碑文には、「天災は忘れた頃に来るの言を心に秘め」と先人の思いが刻まれている。(山本礼史)

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