Bar Cane's Blog
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先月ほどからファン研部長と(小さな)マンボ・ブームが起きており、日本歌謡史におけるラテンの受容に興味がある、なんて書いてみたところ、すかさずアニキが本を貸してくれた。「踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽」(輪島裕介著 NHK出版新書 2015年)である。同世代らしい丁寧さと歯切れの悪さが表裏一体となったような文体が我が事のようにむず痒くも、さっそく一気読み。Cane's的に面白かったところを、と思ったが、思いのほか長くなってしまったのでまずは要約(本書の要約ではない)から。***********************戦前の「東京音頭」の流れから、日本におけるリズム歌謡の先駆けとなる昭和30年のマンボ・ブームがもたらしたのは、ペアダンスではなく個人が自由に踊れるという自由であった。アメリカでそのような状況が起きるのは、ツイスト・ブームが来る数年後である。社会背景が違うとはいえ、その「自由」に関しては日本の方が早いかもしれない!さらにそれは「シリアス」な音楽聴取の可能性も生んだ。60年代までのいわゆるシングル曲の時代から、ロックやフォーク、ジャズなどのミュージシャンとそのリスナーが個人的な表現とその聴取をするようになり、1970年前後からアルバムの時代になる。時を同じくするように音楽ジャーナリズムも頑張って、それまで卑下されていたようなロックやブルースや民族音楽などを、クラシックと同様の態度で聞けるようになった。我々のような音楽ファンや音楽マニアは、踊るよりもむしろ熱心にそれを聞き取ろうとした。昨今CDが売れなくなると言われるが、もしかしたら原点回帰しているだけなのかもしれない。逆に我々は、70年代からのレコードやCDが売れた時代に、アルバムなどを熱心に聞いた特殊な世代のリスナーに過ぎなくて、長い音楽の歴史からいえば、特異な時代なかもしれない。レコードをBGMにお酒を飲むなど、むしろ我々の方が異常で、シリアスかぶれの特殊な世代なのではないか!はてどうしよう?それらはみなマンボ歌謡から始まったのか!*****************************本書の内容からはだいぶ逸脱してますが、さて本論に入ろう。長文です。(なお『』は本書からの引用部分です。)まず、『レコード会社主催の講習会によって音楽とダンスをともども売り込むというやりかた』は、昭和8年の新作の民謡である「東京音頭」が最初であり、『この曲を通じて、櫓の上でレコードに合わせて生の太鼓が演奏され、その周りを、揃いの浴衣の踊り手が決まった振り付けを規則正しく踊る、という、現在までの一般的な盆踊りの形式が整えられていった』のと同時に、『1955(昭和30)年のマンボ・ブーム以降、「ニューリズム」という形で何度も反復される』ことになるという点。レコード会社主導のブームだったわけです。『ダンスホールで新ステップとともにニューリズムを発表し、特定の楽曲を洋盤と日本語カバーをとりまぜてプロモーションしてゆく手法は、チャチャチャ(1956年)、カリプソ(1957年)、ツイスト(1961年)、タムレ(1963年)などでも踏襲される。1958年のロカビリー・ブームに先立って、マンボの次に来るニューリズムとして「ロックンロール」あるいは「リズム&ブルース(R&B)」が売り出されてもいる。』その中で『ステップのこだわりのなさ、そして「相手と組まない踊り」がその特徴』としてマンボのダンスの新しさを挙げているところが特筆すべき点だ。その革新的なところとは『ペアを基本単位としながらも、その動きの多くが「非接触」であり、少なくとも男女が抱き合わずに踊ることができたということ』にあり、『この、各自が勝手に踊る、という新しいダンスのあり方は、世界的に見れば、1960年代に入ってツイストと結びついて爆発的に拡大する。70年代以降のディスコも基本はペアでなくソロだ。一方、同時期に現れる「シリアス」なロックにおける、生演奏の場においても観想的な態度で音に没入する聴き方にもつながってゆく面があるかもしれない。』と、欧米に先んじて日本ではマンボによって個人的なダンス音楽の楽しみ方が生まれたという可能性を示唆している。この流れは非常に面白い。東京音頭からマンボを経由して一気に「シリアス」まで来た。私はここで引っかかる。この本の裏テーマは、リズム歌謡を通しての「シリアス批判」になっているように思えるのだ。これは音楽ジャーナリズムをはじめ、批評、言論一般における音楽に対するシリアス重視についての批判ということになると思うのだが、当然、学術研究者としての著者はシリアス側にいることになるわけなので、自己批判としての様相を呈してくるように読めなくもない。ここで「シリアス批評」の槍玉として中村とうようが採り上げられる。槍玉というのは言い過ぎかもしれない。著者のスタンスがはっきりしないので一例としてあげたに過ぎないのかもしれないが、「とうよう派」としては読み流せない。ここで採り上げられているのはハリー・ベラフォンテの「デイ・オー」や浜村美智子の「バナナ・ボート」といったポピュラー化したカリプソや「カリプソ歌謡」といった当時流行のものに対しての「オリジナルなもの」についての文章である。これは1957年、とうようさんが雑誌を始めるはるか以前、音楽ライターとなるきっかけになった初めての原稿だったと、とうようさんの「大衆音楽の真実」(ミュージックマガジン社 1986年)にも書いてあった。言ってみれば、後のビッグ・アーティスト(ヒーローかアンチ・ヒーローか問わず)のデビュー前音源でその人を判断するようなものである。これは普通に考えて賞賛ではあっても批判とはとれないはずだ。そのわりには言葉じりがとげとげしい。『「本物」や「本場」の情報を詳細に提示し「アメリカナイズ」や「ポピュラー化」を否定しながら、最終的にその「本物らしさ」は音盤のなかに体現されるとみなす、そして本物か偽物かの判断は彼自身の耳が行う、という中村の批評的スタンスが既にはっきりと現れている。』「本物か偽物か」という言い方はちょっと言い過ぎかもしれないが、いんちきニセモノ好きな私としては、その点以外は基本的にとうようさんの影響下にあると自認できる。しかし、著者の「シリアス批評」に対する批判がどのような点にあるのか、はっきりとは読み取れない。(いや、そもそも批判なんてしてるつもりじゃないのかも。)『日本化されたニューリズム商法と、非西洋音楽へのより「シリアスな」関心の両極は(中略)非西洋音楽(ひいては外来音楽全般?)受容の分水嶺だったのかもしれない。』欧米経由の非西洋音楽、という図式において、ワールド・ミュージックや民族音楽という言葉(概念)を取り上げているので、未知のもの、あるいは異文化といった「外」のものをどう受容するかという事象における、エキゾチシズムや差別、中心と周縁といった問題を言っているのだろう。商業的(殺戮や略奪を含む)か、知的(思想や概念、想像など)のどちらかしかないのか。(この二分法は、ダンスにおける金銭含めての男女接触とマンボ以降の非接触との二分法に肉薄している気がする。)著者はブラジルで音楽修行をしてきたことをアピールしているし、とうようさんの言う意味での大衆音楽(ポピュラー音楽とほぼ同義だが、いわゆる「アメリカのポピュラー音楽」とは分けて考えるべき)は人の移動(強制を含めて)によって雑多に混交してゆくミクスチャー音楽であるわけだから、やはり人と人との出会いや繋がりによって生まれ(踊るかどうか別として)聞かれてゆく、人的交流なのだろうと思うのだが、その辺をはっきり書かないのが同世代ならではのズルさなのだろう。いわゆる弁証法的に、キリスト教的植民地主義による強奪的かつ知的な負の歴史を乗り越えたのは、非西洋的な大衆音楽の力だけだったのではないか!(これはとうよう派音楽好きとしての拡大解釈かもしれない。)大衆音楽とはむしろ、欧米経由かどうかはともかく、またアメリカのものと思われているロックンロールやジャズなどにしてもラテン的な要素が含まれているわけなので、(西洋/非西洋という対比を使わざるを得ないのならば)どうしたって非西洋的なものだと言わざるを得ないのである。では非西洋とは何かと言えば、「周縁」であろう。とうようさんは「大衆音楽の真実」の最後でこう語っている。「山口昌男の“中心と周縁”の論に関してよく言われるように、周縁は、中心を活性化するために存在しているわけではない。これからは世界の大衆が、周縁のポピュラー音楽の魅力にどのように触発されて自分自身を周縁化し、秩序の中心を解体する方向を体現できるかが、問題であるに違いない。」すごいこと言ってるなあ。「自分自身の周縁化」という表現が出てきた。いかにも左翼的な物言いかもしれない。中央/差別/エキゾチシズム側に立つのか、周縁/被差別/本場の側に立つのか。どちらも踊れて、ということはリアルで同時代的であることには変わりがない。著者のシリアス批判は、踊る/踊らないというところに単純化できるわけではなく、どう踊るか/どう踊らないか、いかに踊らされずに踊るか、そんなことになってくる。むしろ事の本質は、レコード業界の変革変容にあるのではないだろうか。著者は『日本で言えばマンボ・ブームからGSまで、一般的な大衆音楽史でいえばエルヴィスからビートルズまでの間を一連の流れとしてみることを可能とするこの枠組みを、日本及び世界の大衆音楽史の重要な位置に組み込むことは不可欠な作業であると信じる。』とまで書いていて、ここが要点かもしれない。エルヴィスの最初のシングルが54年、テレビに出たのが56年。確かにマンボ・ブームと一致する。ビートルズのシングル・デビューは62年だが、ライブを止めて「サージェント・ペパーズ」でいわゆるアルバム時代に入ったのが67年。ちょうどリズム歌謡の終焉に符合する。その間に、例えばアメリカのブラック音楽シーンでも、盛況だったインディー・レーベルの時代が一気にメジャーにやられていくわけである。日本は状況が違うので、確かに面白い視点ではあると思う。そこに民衆の音楽聴取における「シリアス」が絡むのだとしたら、レコード業界の変容にどう影響しているのか、日米だけにおいても「シリアス」比較研究が必要であろう。あるいは、大衆音楽とはダンス・ミュージックであると言ってしまってもいいかもしれないわけだから、それでは踊らない大衆音楽の聞き方とは何が問題なのか、ということがこの「シリアス問題」の焦点になってくる。クラシックのリスナーに例えられるような音楽のシリアスな聞き方がロックやニュー・ミュージックに応用され敷衍してゆくことや、自己表現に重きをおくミュージシャンとその神格化といった傾向については、とうようさんも特に70年代以降のジャズについて批判していて、殊にキース・ジャレットなんか音楽じゃない、ぐらい言っているのが笑える。(極端な物言いって面白いよなあ。)人的交流とか言っても、人と人との衝突にも当然、商業的あるいは経済的な部分と知的あるいは感情的な部分と両方含まれる。レコードを聞いて踊る、ということに焦点を当てることで、聞くだけじゃなくて身体を使え、頭でっかち(精神でっかち)になるな、というようなことを、リズム歌謡を例に出して主張しているだけなのかもしれない。それでは我々のような、お酒を飲みながら洋邦問わずにレコードを聞き、あやかや言って楽しんでいるような音楽の受容の仕方はどうなるのか。それはシリアスな聞き方なのか。シングルの時代からシリアス・ミュージックとしてのアルバムが聞かれるようになり、また昨今アルバムが売れなくなったというのも、リスナーが(一曲ごとのダウンロードとかライブが活況だとか)原点に帰っただけで、むしろ我々の世代だけがレコード(特にアルバム)を買って熱心に聞いた特異な人種なのだろうか。そうなのだろう。レコードの歴史はたかだか100年あまり。(日本での最初のレコードの発売は1902、3年だったかな?)アルバムの時代はやはり1970年前後からでしょう。レコードが80年代いっぱい。CDが盛況だった2000年代までを含めても、その約40年間だけが特異だったに過ぎないのかもしれない。当店のような、レコードをBGMにお酒を飲むようなことも、ジャズ喫茶やゴーゴー喫茶から始まるこの時代だけの特殊な現象なのかもしれないのだ。確かに、若い人は来ないわな。我々はシリアスで、そしてシリアスの時代は終わったのだ。もしかしたらシリアスな音楽聴取だけでなく、シリアスに文化を捉えようという試みも、失敗のうちに終焉を迎えたということなのかもしれない。マスコミもジャーナリズムも終わってるわけだし。政治家も(アタマが良すぎるのか)アホばっか。官僚も実業の世界も学術だって金のことしか考えてないじゃないか。(自分がお金のことを考えられないバカだということをグチってるだけです。)では音楽の聞き方は、シリアス・ミュージックはこの先どうなってゆくのだろうか。ますます先行き不透明である。我々音楽ファンやマニアたちは、相変わらず音楽をレコードやライブにかかわらず聞いてゆくだろう。過去の音楽を熱心に検証しつつ、今の自分たちにグッとくるものとは何なのかをみんなで聞かせ合うことは、大げさに言えば大衆音楽を通した歴史の記述、集団筆記である。レコードで辿れるのはおよそ20世紀以降の現代史であるが、そこにはそれ以前の姿がうっすらと想像できるだろう。踊る者は歴史に踊らされる。踊らされまいとしても我々はみな踊るしかないのだろうが、我々が「シリアスかぶれ」だとしたら、それは踊らされることへのささやかな抵抗なのだ。それが『帝都にして国全体の「ふるさと」である東京との関係において、自分たちの住むそれぞれの場所を「地方」として位置づけるようなナショナリズム的な意識が全国に浸透した』という東京音頭から始まる流れだとしたら、それは昭和12年の盧溝橋事件(日中戦争)の以前に遡る。それ以来、日本のダンス音楽が首都と地方の統治構造(まさに中央と周縁である)の確立とナショナリズム高揚に使われ続けているのだとするならば、我々シリアス音楽バカは、そんな踊り踊らされる近現代ニッポンに対するカウンターとして、しぶとく生息し続けるのだ。シリアスで何が悪いのだ!話をもう一度本書に戻そう。マンボ以降のニューリズムはその他、ボサノヴァ(1963)、サーフィン(1963)、スカ(1964)、スイム(1965)、アメリアッチ(1966)などがあり、メキシカンロック(1967)でリズム歌謡の終焉を迎える。そしてGSの時代となり、レコード会社の専属制度が崩壊する。その理由は詳しくは述べられてはいないが、レコード会社内の洋楽部がGSを牽引し、阿久悠や筒美京平など新進のフリーランスの作家陣を起用して、後のアイドル路線へとつながってゆく。『1970〜80年代の大衆音楽界は、「アイドル・ニューミュージック・演歌」という三傾向の鼎立によって特徴づけられることになる。』演歌についてはこの著者が前著(創られた「日本の心」神話)で詳しく論じているそうだが、『その時点で「古臭く」思えるようになりつつあった昭和30年代以前の音楽スタイルを引き継ぎ、なおかつその「古臭さ」を、「伝統」や「日本の心」と読み替えることで成立したジャンル』ということである。言うなれば幻想のオールド・ミュージックといったところだろうか。想像上の保守、といったものはいつの時代にもニーズがあるのだろうし、むしろ保守とはいつだって想像上のものであるのだろう。残るニュー・ミュージックは、アメリカのフォーク・リバイバルに影響を受けた「フォーク」やGS出身者などの「ニューロック」など自作自演(風)のものでアルバム志向であり、シリアス路線へと繋がってゆく。我々の身近にいて当店にも出演してくれるようなミュージシャンも、この系譜になるだろう。さてリズム歌謡の流れは、ピンクレディーがテレビの前のお茶の間をディスコ化し、テレビがインターネットに移り変わり現代に至る。著者は終章で『踊るロックバンド』としてゴールデンボンバーと氣志團を取り上げている。(原宿ホコ天の竹の子族から全国YOSAKOIソーラン系まで、マイルドヤンキー(©️斎藤環)的なのも興味深い。)個人的には「ドドンパ」についてが完全にノーマークかつ抜け落ちていて、非常に面白かったし、この本の白眉となっている。フィリピン由来との説もありながら日本オリジナルとして唯一のニューリズムであり、アジアだけでなくイタリアにまで波及したという、2ビート的変形ラテンリズムである。しかしこのあたりの本書に挙げられている音源はYouTubeでは容易に見つからない。(邦楽はこの辺りが弱いなあ。)過去に出て廃盤となっているコンピCDなどを探さなきゃならない。その点、美空ひばりのリズム歌謡を集めた2枚組CD、その名も「ミソラヒバリ リズム歌謡を歌う!1949-1967」は、あらゆるニューリズムをひばりちゃんが歌い倒していて、これだけで十分に俯瞰できる気がする。その代わりに最後にひとつ上げておこう。『ドドンパに先行するものとして1955年に服部良一が考案した』というオリジナルのリズム「ジャジャンボ」というのがある。『原産国では全く振るわなかったこの和製リズムだが、中華圏では大成功を収めている。1960年に服部が音楽を担当した香港映画「野玫瑰之戀」』である。『三拍子系と二拍子系が同時並行する交差リズム』のこの曲はなかなかに刺激的だ。おしまいにこの曲でお茶を濁そうと思う。 0 Tweet コメントする
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