【正長の土一揆・山城国一揆・加賀の一向一揆の語呂合わせ】年号の覚え方を紹介!
一揆と聞くと、皆さんも、まずは百姓一揆を思い浮かべるのではないでしょうか。
手に鍬や鋤などの農具をもった農民たちが、むしろ旗を押し立てて、悪い役人に詰め寄る、あるいは悪徳商人の家や蔵を打ち壊すといったイメージです。しかし、これだけが一揆ではありません。
一揆という言葉は、土着の武士や農民が揆(やり方とか方針など)を1つにすること、特定の目的を達成するために一致団結して行動する地縁的集団を意味します。
この背景には、鎌倉時代後期から発達してきた惣(または惣村)という農民の自治的組織がありました。
血縁による結びつきを離れた武士たちの一揆が「国人一揆」、土民と呼ばれた農民たちは「土一揆」、両者が合体した「国一揆」など、その構成する階層によってさまざまなものがあります。
今回の3つの一揆は、それぞれ特徴のある一揆で、どれも非常に重要な歴史的出来事ですので、その概要と年号をしっかり学習しておきましょう。
目次
- 1 正長の土一揆とは?
- 2 山城国一揆とは?
- 3 加賀の一向一揆とは?
- 4 正長の土一揆・山城国一揆・加賀の一向一揆の語呂合わせ
- 4.1 正長の土一揆の語呂合わせ①
- 4.2 正長の土一揆の語呂合わせ②
- 4.3 山城国一揆の語呂合わせ①
- 4.4 山城国一揆の語呂合わせ②
- 4.5 加賀の一向一揆の語呂合わせ①
- 4.6 加賀の一向一揆の語呂合わせ②
- 5 こちらの記事もおすすめ!
正長の土一揆とは?
(徳政碑文が刻まれた柳生の疱瘡地蔵 出典:Wikipedia)
「正長の土一揆」は、1428年、近江国の坂本における馬借の行動をきっかけとして、京都から畿内一帯に広がった農民中心の一揆です。
徳政令を幕府に要求したので、正長の徳政一揆ともいわれます。
【永仁の徳政令の覚え方】年号(1297年)の語呂合わせを紹介!【おすすめ5選】2019.2.6 鎌倉幕府で北条得宗家が専制的な権力を確立した時期は、幕府の基盤である御家人の生活苦が決定的になった時代でもありました。 御家人たちは、生活のために領地を質に入れたり、売ったりしてしまいます。 こうした御家人の苦境を救おうとして鎌倉幕府によって出されたのが、永仁の徳政令です。 今回はそんな鎌倉...
徳政一揆という点で1441年の嘉吉の徳政一揆と混同しやすいために要注意です。
正長の土一揆が徳政令を拒否されたため、京都の酒屋や土倉、さらに寺院を打ち壊した、要は高利貸しを主な対象にし、私徳政を実施したことで区別しておきましょう。
なお、嘉吉の徳政一揆は山城国人が主導した大規模なもので、幕府に徳政令を認めさせています。
山城国一揆とは?
「山城国一揆」は、国一揆という言葉からわかるように、1485年、国人領主が農民と結びついて形成した一揆です。
応仁の乱がいちおう終結したあとも、南山城では畠山家内の争いが続き、政長と義就の両軍の戦場となっていました。
【応仁の乱の覚え方】年号(1467年)&東西軍の人物の語呂合わせ!【おすすめ5選】2019.2.17 1338年、足利尊氏が征夷大将軍となって室町幕府を開きます。 室町幕府は守護大名の合議制による連合政権だったので、将軍の権力基盤はあまり強くありませんでした。 また、守護大名の領国統治も守護代や家臣から強い影響を受けていました。家の相続方針も固まっていなかったため、家督争いがおきることもしばし...
これに対して、山城の国一揆は両軍の山城からの撤退、本所領の返還、新関の廃止などを求めました。
この要求が認められて国掟を制定し、8年ほどですが、国一揆の支配が続きました。
加賀の一向一揆とは?
(蓮如上人の銅像 出典:Wikipedia)
「加賀の一向一揆」は、1488年、一向宗の門徒、すなわち浄土真宗の信徒が加賀国守護であった富樫政親を攻め滅ぼしたものです。
これは、石山本願寺が降伏する1580年まで、僧侶、国人と土民の寄合が自治的に支配を続けた一揆という点で、うえの2つと少し違った性格をもっています。
もちろん、土一揆、国一揆の性格をもっていますが、その結びつきが浄土真宗の信仰に基づくものであったこと、宗教的な色彩が特徴です。
正長の土一揆・山城国一揆・加賀の一向一揆の語呂合わせ
正長の土一揆の語呂合わせ① 正長の土一揆「人の世に(142)は(8)びこる」高利貸し
正長の土一揆が徳政一揆であったことに関わらせて「ひとの(1)よ(4)に(2)はびこる(8)」高利貸しと覚えましょう。
正長の土一揆の語呂合わせ② 農民(土民)の「意思には(1428)」勝てない正長の土一揆
土民たちが徳政を求めて一揆を形成した、その意思の強固さに関わらせて「い(1)し(4)に(2)は(8)」勝てないと覚えましょう。
山城国一揆の語呂合わせ① 「維持は(148)いつ(5)まで」山城国一揆
畠山政長と畠山義就の両軍を追い払って、自治を維持した8年間に注目して「い(1)じ(4)は(8)いつ(5)まで」と覚えましょう。
山城国一揆の語呂合わせ② もう「人死は(148)ご(5)めん」と山城国一揆
うえの①と同じような意味で、自分たちの安全な生活を取りもどそうとした一揆の性格に関わらせて「ひと(1)し(4)は(8)ごめん(5)」と覚えましょう。
加賀の一向一揆の語呂合わせ① 信仰の「意思(14)羽ば(88)たく」加賀の一向一揆
土一揆と国人一揆の性格をあわせもったうえに、一向宗(浄土真宗)という信仰に支えられた一揆という点に注目して、信仰の「い(1)し(4)は(8)ばたく(8)」と覚えましょう。
加賀の一向一揆の語呂合わせ② 浄土の「人よ(14)、栄え(88)ある」加賀の一向一揆
絶対他力による極楽浄土への往生を説く一向宗に関わらせて、浄土の「ひと(1)よ(4)、は(8)え(8)ある」一向一揆と覚えましょう。
以上、正長の土一揆・山城国一揆・加賀の一向一揆の語呂合わせでした!