フォト蔵
小松川高校事件 1958年8月21日- 3093
8月17日から行方不明になっていた小松川高校定時制の女子学生が遺体で発見され、9日1日には同じ高校の男子学生が逮捕された。別名、小松川事件または小松川女子学生殺人事件。1958(昭和33)年8月20日午前10時15分、最初の電話が読売新聞社の社会部に入る、声の主は「特ダネをやろう」と喋りだす。「女を殺した、OYさんだ。小松川高校のアナに投げ込んできた」警視庁小松川警察署の捜査員が学校付近を探すが見あたらず、イタズラ電話として処理をされた。翌21日、小松川署には更に詳しく遺体遺棄現場を知らせる電話が入り、捜査員が調べたところ電話での内容の通り、小松川高校屋上のスチーム管の暗渠のなかで腐乱死体を発見、小松川署は死体の状況から他殺と断定した。被害者は黒の学生用スカート、白靴下、白靴は行方不明となった当時のままであったが、家を出たときに所持をしていた150円と、網の手提げが無くなっていた。その後、犯人は被害者宅や警察に遺品の櫛や手鏡を郵送したり、新聞社へは反響を楽しむかのような長電話を掛けている。警察は、その際逆探知に成功し、電話をかけてきた公衆電話ボックスに向かったが、身柄の確保には間に合わなかった。この時の通話は録音され、8月29日にはラジオで犯人の声が全国に放送された。聴取者からは「声が似ている」という多くの情報が寄せられ、その中から有力な容疑者が浮かび上がった。事件発覚から十日後の9月1日、警察は江戸川区上篠崎町に住む李珍宇(当時18歳)を殺人の疑いで自宅で逮捕した。逮捕時、李はニンンマリと笑い「とうとうやって来ましたね。やはり完全犯罪は敗れましたよ・・・」と言い放った。李は直ちに本事件犯行と、同年4月21日の犯行、工場賄婦をしていたS子さん(当時24歳)の殺人と、その後の死姦も自供した。李は、篠崎中学校で生徒会長を務め抜群の秀才でもあったが、極貧のため教科書が買えず、筆写して勉強に励んでいたという。理数系の成績は良くはなかったが、国語、社会は得意で弁論大会にも出場したこともあった。読書意欲も旺盛で、なかでもドストエフスキーなどを愛読していたが、ある日図書館から外国文学書計53冊を盗み、東京家裁で保護観察処分を受けている。また、修学旅行に行けない腹いせに担任教諭の腕時計と長靴を盗むという事件も起こしていた。事件当時は、自転車のベルを作る工場に勤めながら、小松川高校の夜間学部に通っていた。【ふたつの殺人】4月20日午後7時15分頃、李は銭湯から帰る途中、自宅近くの江戸川区鹿骨町前潟橋付近の路上で、自転車に乗ったS子さんを発見。篠崎町の浅間道路上で追いつき、道路脇の田んぼに押し倒して馬乗りになり首を絞めた。S子さんが気を失うと姦淫したが、遂げる前に意識をもどしたので再び首を絞めて殺害したという。8月17日の日曜日。暇を持て余していた李は、午後4時頃に自転車で高校に出かけた。李は夏休み中でひっそりしていた自分の教室である1年南組に入り、黒板にいたずら書きなどをしていたが、それにも飽きて屋上に昇った。屋上の水槽手前では、OYさんが石の上に座って本を読んでいた。李はOYさんのことは知らなかったが、屋上をうろうろしているうちに、「この娘と関係を持ちたい」と思った。李はポケットからナイフを出しOYさんの腕を引っ張り、時計台の方へ連れて行った。大声を出して嫌がるOYさんを押し倒し両手で首を絞めて殺害した。またOYさんの所持品には、李の指紋が付着していたので奪って逃げた。【悪い奴】李逮捕の際、署員が部屋を捜索すると、日記「随筆」の中に、妙な文章が綴られているのを発見した。それは読売新聞が公募した「第5回短篇小説賞」に応募した作品の下書きであることが、自供によりわかった。題名は「悪い奴」。この小説は、4月の事件の経緯を小説に仕立てた李が読売新聞社の懸賞に応募していたことが後に判明している。しかし、この「悪い奴」は予備審査も通過せず、原稿は同社文化部のロッカーの中に積み重ねられていたという。【裁判】李は、1940年2月生まれで犯行時18歳であったが、殺人と強姦致死に問われ、1959年2月27日に東京地裁で死刑が宣告された。二審もこれを支持、最高裁も1961年8月17日(被害者の命日)に上告を棄却。戦後20人目の少年死刑囚に確定した。享年22事件を扱った小松川警察署http://photozou.jp/photo/show/2506004/208018370なお、佐世保の事件でネットに公開されていた、犯人が撮った噂されていた写真は、その後、事件とは無関係だったと判明している。写真は、「東京都立小松川高等学校」のグランド側に飾られていた横断幕。【学校沿革】1916年4月1日 - 南葛飾郡立実科高等女学校として創立。亀戸町第一亀戸小学校旧建物の1棟を仮校舎にあてる。1919年4月1日 - 南葛飾郡役所内図書館を仮校舎にあて、同年小松川町に本校舎を新築。1923年4月1日 - 東京府に移管し東京府立小松川高等女学校と改称。修業年限4年、7学級となる。1927年7月15日 - 東京府立第七高等女学校と改称。1943年7月1日 - 都制施行により東京都立第七高等女学校と改称。1947年4月1日 - 都立第七高女第二部ならびに併設中学校設置。1949年4月15日 - 全日制男女共学開始。1950年1月26日 - 東京都立小松川高等学校と改称。ということで、来年は創立100年周を迎える。
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