復興応援「どんな形でも」 ドジャース佐々木投手 本社単独インタビュー 能登「故郷に似ている」 東日本で被災、父と祖父母亡くし
復興応援「どんな形でも」 ドジャース佐々木投手 本社単独インタビュー 能登「故郷に似ている」 東日本で被災、父と祖父母亡くし

復興応援「どんな形でも」 ドジャース佐々木投手 本社単独インタビュー 能登「故郷に似ている」 東日本で被災、父と祖父母亡くし

「一歩ずつ」と書いた色紙を手にする佐々木投手=珠洲市内

ワールドシリーズの優勝トロフィーを手にする(右から)佐々木、山本由伸、大谷翔平の3選手=11月2日、カナダ・トロント(AFP時事)

 米大リーグ・ドジャースの佐々木朗希投手(24)=岩手県陸前高田市出身=が能登半島地震から2年となるのを前に北國新聞社の単独インタビューに応じた。東日本大震災で父と祖父母を失ってから14年。「能登は自然が多く、僕のふるさとの景色に似ている」とつぶやいた表情は柔らかい。「これからも、どんな形でも、何かできたら、と思っています」。澄んだ瞳には被災地に寄せる優しい心がにじんでいた。(編集局長・杉山圭一郎)

  ●「ずっと来たかった」

 ワールドシリーズ(WS)制覇から1カ月。佐々木投手の姿は珠洲市にあった。能登の子どもたちを対象にした1日限りの野球教室。開催は本人たっての希望だった。「能登に来るのが遅くなりましたが、ずっと来たいと思っていました。もっと早くできることがあったのでは、とモヤモヤしていました」

 車で奥能登を巡った。解体を待つ無数の家屋、コンクリートが割れた道。目に飛び込む景色は「子どものころに見たのと、似たものもある」と回想。大リーグの華やかな舞台で活躍していても、震災の「記憶」は消えることはなかった。ふるさとの東北だけでなく、能登への思いもまた強い。

  ●泉丘と対戦の思い出

 石川県に来たのは人生で2度目。最初は大船渡高(岩手)野球部時代に練習試合で滞在した。「対戦相手は遊学館と、頭のいい学校、確か泉丘だったと思います」。当時は観光もしなかったそうで「いつかゆっくり金沢も見て回りたい」と語った。

 戦いの舞台は日本から米国に移った。WS制覇に貢献したが、「うまくいかなかった1年」ときっぱり。自身はレギュラーシーズン途中にけがで一時離脱した後、ポストシーズンでは「抑えのエース」を任されて活躍。「最後はチームの力に少しでもなれてよかったけど、個人的にはまだまだ」と浮かれず反省ばかりだった。

 大リーグ独特の環境下で結果を残してきた日本人の先輩への尊敬の念も深く、「同じ野球でも日本とは全く違う世界です。松井秀喜さんなど、先人の方々は本当にすごいな、と思います」と実感を込めた。先発投手として挑戦する2年目に向けては「再びチャンピオンになれるよう頑張りたい。能登の子どもたちの笑顔に元気をもらったので、プレーで返したい」と意気込んだ。

  ●自身と重ね「一歩ずつ」 編集後記

 失礼と思いながらも、会っていきなり「能登へのエールを記してほしい」と色紙を手渡した。自身も震災の被災者だからこそ、伝えたい言葉があると思ったからだ。

 ペンを取ると「難しいですね」としばらく考え込んだ。さらに「新年の抱負も込めた言葉で」とリクエストすると、10秒もたたず顔を上げ「二つの意味を込めて、これでどうですか」とすらすら。書いたのは「一歩ずつ」だった。

 被災地の能登、それも最奥の珠洲市に足を運んだのは偶然ではない。「できれば一番遠いところへ行きたかったから」。淡々とした口ぶりに支援の決意が透けて見えた。

 復興も大リーグ2年目も「一歩ずつ」。能登を思ってマウンドに立つ姿は、被災地に多くの勇気を届けるだろう。

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